なぜ、何のコネクションのない日本人デザイナーが選ばれたのか?
森川がその壁を突破できた理由は、「時代が味方した」と言っても過言ではないだろう。レディ・ガガという圧倒的なファッション・アイコンだけでなく、当時のスタイリストだったニコラ・フォルミケッティ(Nicola Formichetti)という人物の存在も大きい。ニコラはイタリア人の父と日本人の母のもとに生まれ、日本で過ごしていたこともあり、日本のインディペンデントなファッションブランドにも理解を持っていた。
インディペンデントながら、一気に世界的な知名度を得た彼のもとには、様々な企業からM&Aが持ちかけられた。と言っても、日本企業は一社もなく全て海外だ。
「どの企業も『日本ブランドだから』というより、投資ビジネスとして興味がある感じだった。その中で、卸先のシンガポールのセレクトショップを運営するD’Leagueグループ(後の株式売却先)の会長から、ブランドビジネスをやりたいと持ちかけられた。そこから1カ月1回位の頻度で来日してくれて本格的な交渉に入っていった」
左からデイブ・タンD’Leagueグループ会長、森川マサノリ、ヤン・ヒョンソクYGエンターテインメント社長、ブライアン・タン(D’Leagueグループ会長の息子)
日本ではRIZAPグループがジーンズメイトの株式を63.99%取得した2017年頃からアパレル、ファッションブランドのM&Aがニュースになるようになってきた。だが、当時も今もほとんどが日本企業による日本ブランドの株式取得だ。
なぜ、日本ブランドは海外企業の傘下に入らないのか?
森川はその理由を「ほとんどの日本人デザイナーが英語を喋れないから、あっちにその気があっても話の進展がしにくいことが大きく影響していると思う」と話す。
事実、日本のファッションデザイナーの多くは高校や大学卒業後に服飾専門学校に進み、日本の企業に就職するか独立するケースがほとんどだが、その過程で英語を習得できる機会は皆無に近いため、喋れない環境を生んでいる。日本人デザイナーで英語を話せるのは、有名デザイナーを数多く輩出しているセントラル・セント・マーチンズ(イギリス)やアントワープ王立芸術アカデミー(ベルギー)といった海外の学校出身者が多い。
森川は交渉を重ねていく中で、「家族のように親身になってくれて、ある程度自由にやらせてもらえる」「費用対効果を直ぐに求められない」という点が決め手となり、2014年にD’Leagueグループに51%の株式を売却し、傘下企業となることで資金を調達した。最初に相談を受け、途中から交渉人を入れ、売却実現まで約1年をかけた。
ブランド創業から4年、29歳での決断だ。
その頃日本では、スティーブ・ジョブズのスタイルのような「究極のシンプル」を意味するファッション「ノームコア」がトレンドだった。「クリスチャンダダ」の服作りは装飾やプリントなど、アイテム一つ一つに主張がある。当時のトレンドとは相反する流れだった。
「今まで年齢による目標設定は決めてこなかったが、ブランド・テイスト的に『これ以上、日本にビジネスチャンスはない』と思っていた。無駄にお金を使うならパリで使おう」
ブランドの立ち位置を考え、2015年春夏からは、コレクション発表の場を東京からパリに移した。
パリコレデビューとなった「クリスチャンダダ」2015年春夏コレクション。当時は現在よりもパンクテイストで装飾要素が強く、ジェンダーレスなデザインが特徴だった。提供:クリスチャンダダ