20歳で語学留学を目的に渡英した青年は、26歳で自身のファッションブランドを設立、29歳でシンガポール企業に株式売却を行い、ブランドの体力をつけた30歳でパリコレデビューを果たした。また、レディ・ガガのツアー衣装や「東京喰種」実写版の衣装などを手掛けていることでも知られている。
日本のファッション業界では類を見ないスピードとルートで駆け上がった森川マサノリ。今回のインタビューでは、彼がどのようにして海外で仕事するに至ったか、ルーツやメンタリティに迫る。
ファッションでなく語学を学ぶために渡英
「海外への憧れやキッカケというより、僕が20歳の時に、一度日本のアパレル企業で働いてみたのですが日本だけで仕事をしていてはダメだなと感じたので、語学力が欲しくて留学したという感じです。その延長線上でファッションブランドで働いたら面白いなと」
彼の口から出てきた渡英理由は意外だった。一般的には普通の動機だが、ファッション業界、ましてやデザイナーになるような人間であれば、通常「海外の名門校で学ぶため」「海外のブランドで働きたい」という目的が第一だからだ。
森川は「英語がほとんど喋れない状態」で渡英し、わずか3カ月後に英国ブランド「シャルル アナスタス(CHARLES ANASTASE)」に書類を送り、アシスタントを務めることになる。当時の語学力は「ヒアリングが多少できるレベル」にも関わらず。
「デザイナーのシャルルが描くイラストが単純に好きだったこと。そして、ANDAM(フランスの権威あるデザイナー賞)を受賞していたので、これから伸びていくブランドだと思った」
森川は、シャルル アナスタスのもとで2年半学んだ後、帰国後に友人たちとブランドを立ち上げるが方向性の違いから脱退。2010年に自身のブランド「クリスチャンダダ」を立ち上げた。
東京のデビューショーだった「クリスチャンダダ」2011-12年秋冬コレクション。撮影:筆者
そして、創業1年後となる2011年に転機が訪れる。
レディ・ガガの衣装を手掛けることになったのだ。
「いくつかのブランドが声を掛けられ、デザイン画審査や実物審査を経て、最終的に『どのブランドが着用されるかは当日までわからない』という状態で、ガガが着用していた」
レディ・ガガに提供した衣装は、日本らしい折り紙を取り入れたデザイン(左)や当時のブランドのクリエーション(パンクやボンテージ色)の延長にあったデザイン(右)が特徴だった。提供:クリスチャンダダ
MTV AID JAPAN AWARDや紅白歌合戦のインタビューといった単発プロジェクトでの付き合いを経て、翌年には世界ツアーの衣装をジョルジオ・アルマーニ以外でのデザイナーとして初選出される。
通常、海外アーティストは自身のブランディングのために名の知れたデザイナーやラグジュアリーブランド、自国ブランドを積極的に採用する。衣装提供の世界はどんなに才能があっても、時として越えられない壁も存在する。だからこそ偉業だった。