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ネーミングが世界をつくる

Rawpixel.com / shutterstock.com

日曜日の午前中、めずらしくひとりでテレビを視ていた。ひさかたぶりの、貴重でのどかな時間だ。画面には、お笑い芸人がMCをつとめ、1週間を振り返る情報バラエティ番組。すると、「空白恐怖症」という言葉が国語辞典に収録されたというニュースが紹介された。

<自分の仕事がないときに、あたかも仕事をしているように見せるためにダミーの予定やフェイクの予定を入れるほど、自分の予定が空白な事を恐れること>という意味なのだそうだ。

スタジオの出演者からは、「それはわかる」とか、「理解できない」とか、「若いうちはそうだったが、年をとるとその感覚がなくなってきた」とか、おのおの持論が飛び出した。

早い話が、嘘の予定を入れたくなるほどスケジュールが埋まっていないのが恐いということなのだろうが、わたくしはと言えば、空白恐怖症の“予防接種”を若い頃に打たれていたのかもしれない。社会人となってから、いまもって、そんな症状にとらわれたことがない。

古代哲学者の言葉が心に響く

バブルの末期に広告代理店に入社した。さあ、仕事をするぞという希望に燃えて、当時流行していた英国ファイロファクス社のシステム手帳を奮発して買った。せっかくなので、挟み込むリフィル(懐かしい)も、ダイアリーだけでなく、アドレス帳や方眼紙など、あれやこれや買い足した。

しかし、せっかく揃えたその手帳を、スケジュールで埋めることはなかった。新入社員は、自分で管理する時間などないから、予定表は必要なかったのだ。とにかく、配属先の先輩に付いて、その言うことを聞く。上品に表現するなら「徒弟制度」、当時の簡潔な表現では「新入社員は奴隷」であったのである。

だからこそ仕事も覚えられた。いまは、かげがえのない社会人1年目だったと振り返ることもできる。高価なシステム手帳で唯一役立ったのは、まるで絡み合った江戸前蕎麦のように思えた東京の鉄道路線図だった。この空白のスケジュールに対する耐性のおかげか、予定がないとは結構なことだと思えるようになった。

古代ローマ帝国の哲学者、セネカが「人生の短さについて」について語った一節のなかに、<ひとは、互いの時間を奪いあい、互いの平穏を破りあい、互いを不幸にしている>という言葉がある。多忙を否定し、意義ある閑暇を問いたものだが、いまはこの言葉がとても心に響く。

そこにあるはずの自由な時間

さて、空白恐怖症だが、最近わたくしが思うのは、どうやらこれはスマートフォンやPCの普及と無縁ではないのではないかということだ。仕事のミーティング終わりに、「次の打ち合わせはいつに?」となると、スマホをいじり出す人、そそくさとPCを操作する人が圧倒的に増えてきた。

文=田中宏和

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