時代に合わせ、業態を進化させてきた総合商社の未来を語る。[CEO’S VOICE]




世界を股にかけ、コンビニ経営からエネルギー開発までを幅広く手がける三菱商事。戦後の財閥解体以降、大合同60周年を迎える名門企業を、どこに導こうとしているのか。小林健社長が、ロングインタビューに応じた。

「コンビニから鉱山経営まで」幅広く手がける

 手がける業種が多岐にわたることから、かつては「ラーメンからミサイルまで」との代名詞を背負い、独特の発展を遂げ、世界に類例のない歴史を刻んできた日本の総合商社。海外では今日でも「SOGO SHOSHA」と呼ばれ、いまや「コンビニから鉱山経営まで」と自らを定義づけ、大手総合商社5社のなかでも、4,400億円以上の連結純利益を生むなど、国内首位を独走するのが三菱商事である。

 2010年に社長に就任した小林健氏は、三菱商事が時代の変化に合わせ、たゆまざる変革を遂げてきたことを強調する。

「かつて、商事会社のファンクション(機能)は何かといえば、物品を取り扱って仲介し、収益を上げるというトレーディング(貿易)のことでした。英語ではトレーディングハウスといわれました。
ところが、日本だけでなく世界中の産業が力をつけて成熟していく過程で、総合商社の従来の機能や価値を問い直されました。“商社冬の時代”といわれたり、“商社不要論”が語られたりしてきました。
我々の会社のことでいうと、その時々の経営者が、世界情勢や経済環境に対応し、自らのファンクションを変え、自らの会社の形を変えながら、今日まで歩んできました。何が大きく変わったかといえば、トレーディングから事業投資に軸足を移したということです」
(中略)
商社の事業は、商流という言葉の通り、原材料の調達や設備投資などを意味する川上、そして、最終製品を消費者へ供給する川下といった表現で語られてきた。三菱商事のように日本を代表する財閥系大手総合商社ほど、プライドが高く、リスクを負うことを避けて川へ近づかず、特に川下にかかわることに積極的ではないという、やっかみ交じりの揶揄を伴っていわれることも少なくない。
小林氏は、そうしたとらえ方がすでに時代遅れであり、ナンセンスであると断じる。

「川のほとりに立って、流れを見ているだけでは誰も相手にしてくれません。川の中へ自ら入って行かなければならない。川の中へ入って、投資をし、ともにビジネスをする。喜怒哀楽を共有し、良いことも悪いことも分かち合うことによって、信頼を得て、パートナーとして認められ、その業界の中で足場を築いていくことができるのです」
例えば自動車製造事業への投資。いま三菱商事は、いすゞ自動車とタイで、三菱自動車とインドネシアなどでビジネスをしている。投資をし、人も供給している。販売や金融を主に手がけているが、自動車をつくるために、化学品を売り、鉄板を売る。工場の動力となる電気をIPP(独立系発電事業者)として売り、さらにガソリンを売る、というように、「中長期的にその会社にかかわって、多角的に収益を上げていくというモデルに完全に変わっている」と話す。まさしく総合商社たるゆえんであろう。
したがって、同じく投資をするのでも、価値を上げて短期間で売却したり、IPO(株式公開)にこぎ着けたりして、そこで得た利益でまた次の投資をするという、海外のインベストメントバンクとは違うと力説する。「我々は、そこに長くいつづけて、ビジネスを発展させていくというモデルであり、外国にはない形態です。いま、約90カ国におよそ200の海外拠点がある。そして、600以上の連結対象会社を持っています。これだけのインフラは一朝一夕には生まれません」
韓国のサムスングループや中国の大手企業などが、日本のような商社をつくりたいといってくる。小林氏はノウハウを盗まれるなどと恐れたりせず、事業モデルをオープンにして、「どうぞやってごらんなさい」と応じるという。これだけのインフラをつくり上げるのに、どれだけの年月を要するか。何兆円かかるか。そして、どれだけの人材を必要とするのか。
最近注目された経済ニュースのひとつは、三菱商事出身の若き社長として、コンビニエンスストア大手ローソン再建の立役者となった新浪剛史氏が、サントリーホールディングスの社長に転身するというものである。

総合商社の最大のアセットは人材である

――若くエネルギッシュな敏腕経営者という人物像を、三菱商事社員のイメージに重ねる人も多いのではないでしょうか。

「新浪君の場合、たまたま三菱商事の出身で、あのようにスポットライトを浴びることの多い業界に行ったので、マスコミに大きく取り上げられたのでしょう。
我々の最大のアセット(資産)は人材です。人材だけだといってもいい。しかも、経営人材を育てるというのがひとつの大きな使命であり、現実に多くの経営人材を輩出しています」

――600以上の連結対象会社を擁する一方、三菱商事単体の従業員は約6,000人。単純にいっても、10人で1社を運営する能力を要求される計算になります。

「そうですね。いま、連結対象会社でCEO(最高経営責任者)を務めている社員が200人くらいいる。そのほか、CFO(最高財務責任者)として行く場合など、いろいろなケースがあります。
人材がアセットだから、やはり、若いうちから社員をどう育てるかが重要です。キャリアを積ませて、最終的には連結対象の子会社で経営をする。そして、また(三菱商事に)戻ってくる。その繰り返しをするということです」

――若いうちから、経営者予備軍として、どのように育てるのですか。

「私は、まずは目の前の仕事を一所懸命にやりなさいといっています。どんなに小さな仕事でも、自分なりの達成感が得られるはずです。
例えば、10万円の商品を売るという仕事が目の前にあるとする。わずかな利益しか生まない仕事かもしれません。しかし、その製品を売るためには、厳しい上司を納得させながら、メーカーと商談を進めなければならない。銀行には細かなことをいう担当者がいて、嫌なお客さまだっているかもしれません。それらをすべてまとめ上げて、初めて商売になる。達成感も得られる。
こうした経験があるからこそ、だんだんスケールの大きな仕事ができるようになります。いきなり10億円、20億円の事業を手がけることはできない。だから、若い人はまず目の前の仕事を一所懸命にやること。そして、人の信頼を得る。人の信頼を得るためには、仕事に一所懸命に取り組んでいる姿を見てもらうしかありません」

 小林氏は、社員に、入社8年目までに半年から1年間の海外研修の経験をするように求めている。「ニューヨークやロンドンといった華々しい都市でもいいのか」と尋ねると、強く首を振った。

「大都市がダメだというわけではありません。でも、私が求めているのは雑巾がけに近いことなんです。ハードシップ(厳しい生活環境)にあり、伸び盛りの地域がいい。アジアやアフリカなどはいいですね。支店や支社、あるいは事業投資先での、いわば雑巾がけです。
いま、ミャンマーに4人ほど行かせています。25歳から26歳、入社3年目といった若
い社員たちで、男性も女性もいます」

――「雑巾がけ」とは、具体的にどんな仕事なのでしょう。

「伸び盛りの地域なので、取引先などからお客さまがひっきりなしに訪ねてくる。まず、その応対に追われることになります。
あらかじめ、お客さまの宿泊するホテルを予約し、当日、会社の車を使って空港へ迎えに行く。お客さまは、入国審査で嫌がらせまがいの訊問をしつこいほどにされたり、税関でも長時間待たされたりして、くたびれ果ててロビーに出てくる。そこで迎えると、お客さまはまずはほっとするわけです。『三菱商事の人が迎えに来てくれた』と。しかし、車でホテルへ案内すると、今度は予約したはずの部屋がとれていない。お客さまは不安になって、『どうなっているんだ』と怒る。謝りながら、フロントと粘り強く掛け合う。ときには喧嘩腰で交渉して、なんとか部屋をひとつ確保する。お客さまは、地獄で仏というような思いをすることでしょう」
小林氏は、「そこまでやって、ようやく信頼関係を築く第一歩です」と、いたずらっぽく笑った。

 1971年の入社後、長く船舶部門に身を置き、自らも若い時代から世界中を飛び回ってきた。湾岸戦争のさなか、サウジアラビアの国営石油会社との契約をまとめ上げたこともある。日本では経験しないような「雑巾がけ」を求めるのは、自らを鍛えることになった数々の実体験からでもある。

樽谷 哲也

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