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2018.09.08

「美味しい」は社会を変える力になる|レフェルヴェソンス 生江史伸

「レフェルヴェソンス」「ブリコラージュ ブレッド アンド カンパニー」のエグゼクティブシェフ 生江史伸氏。


──確かにそういうことは謳われていませんが、その思いやりや優しさは、サービスの方とのちょっとした会話や料理から伝わってきます。

料理って、料理人が一生懸命作って、カウンターにポンと置いた瞬間に終了……と思われがちですが、僕はそうではないと思います。そこからお客様のところへサーブされ、お客様にどういう気持ちで最後まで食べていただくか。その過程にサービス人のおもてなしが入ったり、聞こえてくる音、見える景色によって楽しい気持ちが高まったり。そのすべてを含めたものが「ご飯を食べている」っていうことです。

最近はカウンターから料理をすべて出すことで、おもてなしを表現する料理人も多いんですが、サービス人文化っていうのは、とても大事だと思っています。そこでいくらでも足し算、掛け算が起こるので。

効率や結果ばかりを追い求めて、人と人との交流の機会を省いていくと、人に対する優しさがどんどん失われていくような気がします。人々がさまざまな接点を持ち、ともに一つの心地よい空間を作り上げていく、というような世界観は大事にしていきたいですね。


テイクアウトのベーカリーコーナー。パンは、大阪の名店「ル・シュクレ・クール」で修行を重ねた職人が丁寧に焼き上げる。

──それは他の業界にも当てはまりますよね。

料理業界だけじゃないと思います。ここ30〜40年くらいで、いろいろな産業が分断化されすぎたのではないかと。効率を考えると、分業化して一つ一つのクオリティを上げられることはメリットで、時代的にそういう必然性もあったと思います。ただ、それが進みすぎて統合ができなくなったり、大きな視野で物事を捉えられないようになってしまっている、というのもまた事実です。

僕も料理を始めたころは、一流のお店に入り、一流のシェフのもと、厳しい状況の中で自分を鍛え、経験を積んでいくことが、徳のある料理人だというふうに教わりました。もちろんそれで学んだことはたくさんあります。でも振り返ると、料理以外のことをあまり知らない、何だかすごくバランスの悪い人間になっている気がしたんです。

レストランという狭いお城の中で、裸の王様のように生きるのではなくて、料理人はもっと前を向き、まわりの環境を見て、いろいろな人たちと関わっていくべきだなと。さまざまなファクターの中にレストランというものが存在する、ということを認識する必要があるのではないかと思います。

──ひとつのことに集中して、それを極めていくというのは、ある意味日本的な美徳として考えられがちですよね……。

でも例えば日本においても、江戸時代には近隣のコミュニティで助け合うなど、下町的、長屋的な思想があったと思います。隣り近所や親戚同士で助け合いながら生きる、という。いまは核家族になって、親や親戚との関係も希薄になり、隣に住んでいる人すら誰だか分からないという、大都会病的な現象が広がっていますね。

そうなってくると、いろいろと質を高めて物事をきわめていっても、あまり有効に活用されない。連なって意味を持つということがなくなり、バラバラになっているのが、産業的にも人々の精神的にも問題なんじゃないかと思います。

だから僕は相手が喜んでくれるのであれば、枠組みやジャンルを越えて手を組んでいきたいと考えています。国籍や人種がどうであろうと関係ありません。僕自身、もともと日本と世界という軸も持ち合わせてなく、一人の地球市民だという感覚でいるので。
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文=国府田淳

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