──ソマリアの問題を知るにつれて使命感が湧いてきたというのは、「怒り」の感情に近いのでしょうか。
そうですね、怒り、が強かったですね。「いじめられている人を救いたい」という気持ちから行動を始めたのですが、ソマリアの状況を知ったときはむしろ「いじめている側」に腹が立った。かつて自分がいじめている側だったからこそ、そういう気持ちになったのかもしれません。
また「国際協力」を謳っている組織は多いにもかかわらず、ソマリアに対して活動をしているところが皆無に等しかったことにも納得がいきませんでした。当時、国際協力を行うNGOに電話をかけたり訪問したりしていたのですが、みんな「ソマリアは危険すぎて難しい」と言うのです。いちばんいじめられている人がいる、人が死ぬという現状がある、世界で最も支援のニーズがあるとわかっていながらも、世界一危険だからという理由で誰も取り組んでいない。誰もできないんだったら自分でやってやるしかない──そう強く思ったことを覚えています。
当時は英語も一切しゃべれなかったし、知識も経験もゼロだった。でも、ぼくにとっては「何ができるか」はまったく重要じゃなかったんです。大事なのは「何をすべきか」。必要なことはそれからすべて最速で習得すればいい。人の命がかかっている問題を解決するうえで、すべきことをできるようになるまで、そのすべきことから目を背け続けるということはぼくには到底納得いきませんでした。「ソマリアを救う」というイシューを特定することから始まったのです。
ちなみに、この行動原理はいまでも変わりません。ニーズが高くて、誰もやれないことをやる。もちろんニーズはどこにでもあります。東南アジアにもほかのアフリカ諸国にも、ここ日本にもあるでしょう。でも、たとえばフィリピンやバングラデシュを支援する団体、子どもや難民を助けるための団体は山ほどあるにもかかわらず、ソマリアの紛争解決に取り組むところが本当になかった。だったら自分がソマリアをやるしかない──そこに迷いはなかったですね。そしていまはソマリアだけでなく、世界のテロと紛争の解決をするために活動をしています。
──そこから幾度かの現地への視察を経て、2013年にギャングたちの脱過激化・社会復帰支援を行うプログラム「Movement with Gangsters」をスタートされています。
あの当時ぼくらが考えていたのは、とにかく大人のマネごとをしたら、自分たちがやる意味がないということでした。たとえば緊急人道支援を予算50万でやったところで、どれほどの価値があるんだろうと。それだったら大人を連れてきたほうがずっと早い。学生の自分たちだからできることってなんだろう、ということにすごくこだわっていました。
そこでヒントになったのが、ソマリア人のギャングたちが自分たちと同年代であることです。現地の劣悪な治安の原因にギャングの存在があるのですが、実際にギャングたちと会うと、きちんと対話をすることができた。大人たちがアクセスすらできなかった彼らに、ぼくらは同年代という共通項を活かし彼らの主張に寄り添い、すっと距離を縮めることができたのです。
大事なのは、相手を否定するのではなく、まずは受け入れる=アクセプトすること。彼らも社会からは迫害の対象と見られているので、他者から受け入れられるのは純粋にうれしいんですよね。
現地での活動は、常にギャングたちと話し合いながら進めている。(写真:アクセプト・インターナショナル)
ギャングたちを対象にしたプログラムのテーマは、「ユースリーダーとして一緒に生きていこう」ということ。彼らも、高い失業率や機能しない政府・国連に対して強烈な憤りをもっています。「待っていても政府や国連が解決してくれると思う? 俺たち若者がユースリーダーとして問題を解決していくしかないじゃん」と、ギャングたちのパワーを社会をよくするために使うよう鼓舞していきました。
プロジェクトの名前も「Movement with Gangsters」。ギャングを懲らしめるとか厚生させるのではなく、ギャングたちと一緒に社会を変えていく、というのがぼくたちの姿勢です。
2013年の夏から始め、これまでにプログラムに参加したギャングは120名以上。当たり前のことですが、あのときから5年が経って、5年前に会ったやつが5つ歳をとり、ぼくも5つ歳をとりました。ぼくが初めて出会ったギャングのひとりである「レッドアイ」という愛称のやつがいるのですが、今年の3月に行われたあるギャングの解散式のときに彼が素晴らしいスピーチをしてくれて。それを見て、ともにいい関係をつくれてこれた5年間だったなと感じましたね。
ギャング組織「カリフマッシブ」の解散式の様子。「俺たちは昨日いた場所に戻る必要はない。俺たちは前に進む必要があるんだ」とリーダーのレッドアイは語った。