そのうちの一人が、ミカ・タジマだ。日本人の両親を持つ彼女のアイデンティティは、作品にどう反映されるのか。海外へ挑戦したい若手アーティストたちへのメッセージとは。
ニューヨークで育ち、現在は起業家、コレクターとして活躍するユリ・ユリーカ・ヤスダが、現地で話を聞いた。
──幼少期をどのように過ごされていましたか?
両親は父、母共に大学院進学のために渡米した日本人の学者です。私はロサンゼルスに生まれ、テキサスのオースティンで育ちました。
街には日本人がほとんどいなかったので、いつも「私は何か違う」ということを感じていました。「周囲に溶け込みたい」という欲求はありましたが、それは子供の頃には誰もが抱く感情です。
両親の職業柄、世界中を旅していたこともあり、世界はそんなに小さくないなという感覚は小さい頃からありました。アメリカと日本を知っているんだという誇りも持っていましたね。
私は鉛筆を持てるようになってすぐ、丸や三角、四角などお絵描きし始めたと母から聞いています。アーティストになることには子供の頃から執着していたそうです。
美術展などもよく連れて行ってもらいましたが、私が自分の娘を連れて行くほどの回数ではないですね。コンサートにはよく連れて行ってくれました。
──幼いころに聴いた音楽が自身の作品にも反映されていますか?
それは絶対ですね。私の作品はリサーチに基づいたアイデアから生まれています。このアプローチは私の両親からもらったものだと思います。
──私はあなたのエッジーでエレガントなカンヴァス作品のファンです。例えば「ネガティヴエントロピー」の制作期間には何を考えていましたか?
この作品は「物理」から発想を得ています。2010年から8年ほどやっています。毎年、10個ほどしか作品は作りませんが、このシリーズの作品は結構溜まってきていますね。「アコースティック・ポートレイト」のようなものだと思っています。
“Negative Entropy (Toyota Motomachi, Magenta, hex)" 2015,"Negative Entropy (Joy Alaoui, Blue, hex)" 2015(c)Mika Tajima Courtesy of TARONASU
──トム・ヒル(今秋にNYCでミュージアムをオープンするビリオネア)もその言葉を使っています。北京で会った時、あなたの作品の素晴らしさについても話しました。そこで、きっとあなたには世界中にファンがいると気づき、話を聞きたいと思いました。
他の作品も含め、いつもどのようなプロセスで作品が完成するのですか?
まずはじめに、色々な場所の写真を撮影し、音を録音するんです。最初は、現代のテクノロジーに乗っ取られたような工場とは違う伝統的な織物工場からはじめました。
そこで、今の世界を築く全ての産業は織物工場から始まったと思ったんです。