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森美術館館長 南條史生

30歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「30 UNDER 30」を、Forbes JAPANは8月22日からスタートする。

本企画では、「Business Entrepreneurs(起業家)」「Social Entrepreneurs(社会起業家)」「The Arts(アート)」「Entertainment & Sports(エンターテイメント&スポーツ)」「Healthcare & Science(ヘルスケア&サイエンス)」の5つのカテゴリーを対象に、計30人のUnder 30を選出。

選出にあたって、各カテゴリーの第一線で活躍するOVER 30を迎え、アドバイザリーボードを組成。彼らに選出を依頼した。

「The Arts」部門のアドバイザリーボードのひとりに、森美術館館長の南條史生が就任。

日本を代表するメガ・ミュージアム、森美術館の舵取りをしている南條。世界の現代美術の潮流を読み、アジアをリードするミュージアムとして為すべき一手を考え、医学やテクノロジーなど他ジャンルを包含しながら続々と新しい展示・作品を世に送り出している。

南條は元々経済学部を卒業後、信託銀行に入社した経歴を持つ。なぜ、経済から美術の道へ進むことになったのか。「若い頃のことなんか全然覚えてないな」と笑いながらも、自身の「20代のころ」を思い返してもらった。

文学に耽溺していた学生時代

私が子どものときは、クラスメートが野球している休み時間に、ひとり教室の隅で本を読んでいるようなおとなしい子どもでした。今でも野球は、ルールさえわからない。素直だったから、大学では経済を学んで実業の世界に入るのがいいと大人に言われたのを受けて、慶應の経済学部に進みました。それが高度経済成長期の当時、そこそこ勉強ができる子がふつうに期待される道でしたから、自分が選択したその道に対しては、とりたてて疑問も持たなかった。

でも、大学に入って経済や法律の勉強をしてみると、ちっとも身が入らない。そもそも何を言っているのかすら、よくわからなかった。関心を持てなかったんですよ。

代わりに耽溺したのは文学でした。当時は日本の文学が、今よりずっと社会的・思想的に存在感を持っていた。

金子光晴の『どくろ杯』や檀一雄の『火宅の人』なんかを読んで影響を受けました。どちらも日本の私小説の「最後の花」みたいな作品。その作品の中では主人公、つまり作者が、感情の赴くままに旅を繰り返したり付き合う女性を変えたりと、自分なに忠実生き方を模索する。彼らの小説を読んで、「ここに書かれているような生き方をしよう」とまでは思わなかった。けれど「こういう人生もあり得るんだ」ということは、心に深く刻みこむことになりましたね。

元々は海外になんて興味もないし行きたいとも思っていなかった。けれど国際交流基金にはいり、出張でシンガポールに行ったときに、『どくろ杯』の作者、金子光晴の放浪の跡をたどりたくなり、国境を越えてすぐ隣のマレーシア側のバトパハという街に足を伸ばしました。


バトパハで見つけた元日本人会館

戦前に書かれた小説に書かれている建物をなんとか見つけ出したときには感激しました。二階に置かれた卓球台まで、書かれたとおりだった。沢山アジアを旅して「アジアとはどういうものか」という自分なりの感覚は、そのころにできあがりました。いま森美術館の館長として、アジアに焦点を当てた展覧会を多く企画するうえで、当時の体験は大いに活きています。


バトパハの日本人会館にあった卓球台

文=山内宏泰 写真=小田駿一

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