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投資家の松山太河

30歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「30 UNDER 30」を、Forbes JAPANは8月22日からスタートする。

本企画では、「Business Entrepreneurs(起業家)」「Social Entrepreneurs(社会起業家)」「The Arts(アート)」「Entertainment & Sports(エンターテイメント&スポーツ)」「Healthcare & Science(ヘルスケア&サイエンス)」の5つのカテゴリーを対象に、計30人のUnder 30を選出。

選出にあたって、各カテゴリーごとに第一線で活躍するOVER 30を迎え、アドバイザリーボードを組成。彼らに選出を依頼した。

「Business Entrepreneurs」部門のアドバイザリーボードのひとりには、East Venturesの松山太河が就任。

ITベンチャーの草分け的存在のネットエイジに所属し、1990年代後半の「ビットバレーブーム」の熱狂を知る、スタートアップの歴史の生き証人である松山。ネットエイジ退職後、クロノスファンド、EastVenturesといった投資ファンドを組成。メルカリ創業後の山田進太郎に、六本木の交差点で数千万円の投資を決めたことは“伝説的な出来事”として知られている。

そんなスタートアップ業界における、レジェンド投資家は20代をどう過ごしてきたのか──「30 UNDER 30」の発表に先立って、松山に自身の「20代」を振り返ってもらった。

渋谷の小汚いマンションの一室で若い才能が熱狂

20代の頃ですか……(笑)。いまでも忘れられない記憶として、鮮明に覚えているのは「ネットエイジ(現ユナイテッド)」で働いていたときのことです。

ネットエイジは、名だたる起業家やサービスを世に送り出してきた企業です。創業は1998年。まだできて間もない頃、渋谷・松濤にある歯医者の2階の小汚いアパートがオフィスでした。

そこには、創業者の西川潔さんや、その後にAmazon Japan(アマゾンジャパン)を立ち上げることになる取締役の西野伸一郎さんはもちろんのこと、グロービスのベンチャーキャピタリストの仮屋薗さんもよくオフィスに遊びにきていました。

後にグリーを創業する田中良和さんやミクシィ創業者の笠原健治さんを始めとした、若くて才能のある人たちもたくさん集まっていました。


ネットエイジ創業時の靴が散乱したオフィス玄関

すごく刺激に満ち溢れた場所でした。20代の頃、ネットエイジのオフィスに出入りできたことは、僕の人生に大きな影響を与えています。

僕がネットエイジに通うようになったのは23歳の頃。まだ新卒で入社したアクセンチュアで働いていたときです。先に出入りしていた大学時代の後輩から、ネットエイジについて話を聞き、遊びに行ったのがきっかけでした。

2DKぐらいの風呂付きマンションに若い人たちがパソコンを持ち込み、ひたすらカタカタとキーボードを叩いている。いま思えば、すごい空間でしたね(笑)。会社が終わった後や休日などの時間を使って、何度か足を運ぶうちに、「こっちの世界の方が楽しいな」と思うようになりました。

もともと、スーツを着ることも性に合わないと思っていましたし、「Windows 95」の発売を契機にインターネットの波が来ていた。今後、あらゆるサービスがウェブベースで提供されるようになるだろう、という肌感もあったんです。

結局、入社から1年でアクセンチュアを退社。ネットエイジに入社しました。当時は事業側として「ネットディーラーズ」という自動車関連のウェブサービスを開発していて、朝から晩までオフィスに入り浸り。畳の和室があって、押入れには布団が入っていて。眠くなったら、そこでドラえもんのように仮眠をとって、また仕事する(笑)。

まさにスタートアップという感じで働いていましたね。

文=大崎真澄 写真=小田駿一

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