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2018.05.25 07:30

仮想通貨イーサリアム「24歳の天才」を支える日本人2名

左から宮口礼子、ヴィタリック・ブテリン、長谷川潤


17歳でビットコインを知った24歳
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イーサリアムを考案したのは、ロシア生まれでカナダ育ちの現在24歳のヴィタリック・ブテリン。コンピュータサイエンティストの父をもつ彼は幼少の頃から数学に長け、10歳でゲームのプログラムを書き、2011年に17歳でビットコインの概念を知った。

「最初はこんなテクノロジーがうまく行くのかと疑念を持った。でも、気がつくと夢中でビットコインのことを調べていた。様々なフォーラムに通い、専門のブログに記事を書いた。銀行や既存のインフラに頼らずに、コミュニティの力で通貨を生み出すアイデアにわくわくした」

ビットコインの創始者のサトシ・ナカモトは金融危機直後の08年にビットコインを発案した。そこに示された概念は政府の介入なしに発行される既存の通貨を置き換えるトークンだった。
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その後、ウォータールー大学のコンピュータサイエンス部門に進んだヴィタリックは、ビットコインを支えるブロックチェーン技術がもっと多様な目的に使えると考え、自身の仮想通貨を作ろうと思った。その研究に専念するため大学をドロップアウトした。

そして、ピーター・ティールが大学中退者向けに設立した財団から10万ドルの助成金を得て、世界の仮想通貨コミュニティを訪ねる旅に出た。

「誰よりも遅くまでオフィスに残って仕事をしてる、あの異様に頭がキレると評判の若者は誰なんだろう」──13年、当時19歳だったヴィタリックにサンフランシスコで出会った時の印象を、宮口はそう語る。

「今にして思えば、彼はその頃イーサリアムのホワイトペーパー(計画書)を仕上げている途中だった。私はその前年、米国で立ちあがった取引所の『クラケン』に務めはじめたばかりだった」

「途上国の子供を救う」テクノロジー

宮口は日本で高校教師を務め、サンフランシスコ州立大学でMBAを取得。2012年に開発途上国の子供の支援組織「TABLE FOR TWO」に務めた後、仮想通貨業界に入った。

「MBAでマイクロファイナンスを学んだ私は、ビットコインのアイデアを聞いた瞬間、このテクノロジーで途上国の子供たちを救えると思った。資金を送る際の障害の一つが高い送金手数料だった」

一方でその頃、タイのバンコクを本拠にOmiseの事業をスタートさせていたのが長谷川だ。13年にEコマースプラットフォームとしてOmiseは始動した。

「当時の自分はビットコインが、単に価値を貯蔵する仕組みとしか思えなかった。投機目的の利用も広がっていて、これは危険だから手を出さないほうがいいと思った」と、苦笑交じりに長谷川は話す。
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取材・文=上田裕資 写真=ヤン・ブース

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