問屋業が創意工夫を求められていなかったのも事実だ。工具業界には、川上の工具メーカー、川中の問屋、川下のホームセンターなどの小売りという、堅強な商流があった。
「何も分からずに入ったこの業界では、リクルートの営業の論理が全く通じませんでした。リクルートのビジネスは、取引先の会社にあらゆる提案をして、その会社の成長を徹底的に支援することです。この構図をあてはめると、問屋としては、小売店さんの成長を支援することになるのですが、求められるのはクリエイティブな提案ではなく、無茶な要求に黙って従うことばかりでした」
ものづくりの町・大阪は、工具発祥の地であり、産地問屋からスタートした企業やメーカーが集積している。古い慣習に縛られた商流は、商売をやりにくくしているだけであった。
「小売店さんからの支払いは、180日の手形ということだってざらにあった。現金化できるのは半年後ですよ。それではキャッシュがまわるわけがない。それに、付き合いの長い小売りさんでも、うちが100円で納品しているものが別の問屋で10円安かったら、90円にしてくれといわれてしまう」
取引先の経営者は、ほぼ全員が後継者。工具業界は新規参入が全くない、斜陽産業だった。
「他の業界では商流という仕組みを変えながら生き延びているのに、工具業界だけは、うちが創業した80年前から全く同じ。発注方法が電話からファクス、メールになっただけで、やっていることは、ずっと変わらないんです」
業界の常識は、世間の非常識。娘婿として、唯一業界の外から来た山田にしてみれば、誰かが、古い仕組みを変えなければ、いずれ業界ごと沈んでしまうのは、明らかだった。
そこで、02年、山田は見よう見まねでECサイトを立ち上げた。商品を小売りに卸さずに、顧客にインターネットを介して、直接販売する。これは、自社の生き残りをかけた新規事業であると同時に、工具業界の商流を変えることへの挑戦であった。
問屋が小売りを行うことは、業界のタブー。卸先のホームセンターからは、当然批判を受けた。さらには、「ネットで売るなら、取引停止する」や「ホームセンターさんのチラシ以下の価格では、絶対に売るな」と、メーカーからも圧力がかかり、商品を供給してもらえないこともあった。
ところが、「応援するから頑張れ」という声があがった。同世代を中心としたメーカーや問屋だった。彼らを惹きつけたのは、力関係の偏った縦の商流に代わり、すべての取引先と利益をシェアできる、共存共栄のフラットな関係性を目指す山田の姿だった。
「僕たちも、お客さんも、取引先さんも、ハッピーになるようなビジネスでなければ、工具業界は生き残ることも、成長することもできないじゃないですか」と、山田が打ち立てたのが、「ハッピートライアングル」という新しいモデルだった。ECによる実績とともに、このモデルは支持を集めていく。
一度、取引先の協力さえ得られれば、他の企業が一朝一夕では実現できない品揃えが実現した。アマゾンのような巨大EC企業であっても、取引先との密な関係性は手に入れられない。ここで、産地問屋として80年の歴史が活きたのだ。こうして現在は、取り扱いメーカー1000社以上という国内随一のECサイトに成長した。
さらに、彼は画期的なアイデアを実現する。ユーザーが体験できる「場所」を作ったのだ。