「例えば、電気丸鋸は全国のホームセンターで売っています。でも、プロではないユーザーに使い方を教えてくれるところはほとんどないんです。メーカーさんは新商品を出しても、店頭に置いてもらえるかは小売店さん次第。だから、僕らは商品のPRの場所として、DIYショップの店頭スペースをお貸ししています。置き方も、メーカーさんが好きに決められる。うちのスタッフを教育してくれれば、ニーズがあるお客さんに店頭で使い方を教えながら、販売します」
取引先と二人三脚で、直接、ユーザーと向き合うビジネスへと転換していく道を選んだのだ。
「DIY FACTORY OSAKA」に並べられた工具。店舗をメディアと考え、約25社のメーカーに月決めでスペースを貸し出し、メーカーに商品PRの機会を提供。
「“風向き”は自然の摂理ですから、変えることはなかなか難しい。でも、“帆の向き”は変えられる。うまく前に進まないんだったら、自ら帆の向きを変えよう、と思ったんです」
ビジネスモデルにおいては光が差し始めたが、会社の組織という体質に関しては、今も忘れることができない、組織再編の痛みを経験した。
「僕は組織を(社員の構成がそのままの状態で)変えることができなかった。だから最終的には全員入れ替えた。それはトラウマでさえあります」
05年ころ、ECの可能性に目を開かれた山田は、リソースだけが削がれていく問屋業の廃業を決意。先代に相談のうえ実行した。問屋業を残すのではなく「会社を残してほしい」という意向を受け、事業再建に踏み出した。
山田は、社員への給与も見直し、痛みを分かち合ってくれる社員だけ残ってくれ、と求めた。その場では残ってくれた社員たちもいたが、結果的に1年ほどの間に皆去っていった。
ここで山田の力となったのは、「好き勝手にさせてくれた」という2代目社長からの信頼だった。サーバーの購入のために数百万円を借り入れる際にも、何も言わずハンコを押してくれたという。
「裏では、税理士にこっそり、『今、会社はどんなんや。あいつは大丈夫なんか』と心配してくれていた。でも、僕自身が『あれをするな』『これはどうなっている』と言われたことは皆無なんです」
バトンリレーの結果、大都は「創業80年のベンチャー企業」として生まれ変わった。新卒の採用、新規事業の創造、大企業との資本提携、マザーズ上場企業の事業の子会社化──。それらは死にかけていた会社が、ここ5年間で次々と実現したのだ。
「会社をもっと大きくしたいとは思っていません。莫大な売り上げよりも、僕も社員も世の中に大きな影響を与える会社になりたいだけです」
大都が直営するDIYショップはわずか2店舗。しかし、ユーザーに提供したいDIYの体験やオリジナル商品は、資本業務提携をしたカインズが持つ200以上の店舗を介して、全国に広がっていく。
「規模が大きくなると、どうしても分業が進みます。塗料売り場の棚だけを管理する人が、『日本の住まいを良くしたい』と思うのは難しい。しかし、小さなチームで動けば、自分が誰のために、何をやっているかを実感しながら働ける。お客さんは、取引先は、楽しんでいるかな、と」
だから、山田はこう言うのだ。「小さいことは、美しいことなんです」と。
山田岳人◎1969年、石川県生まれ。92年、京都産業大学卒業後、リクルートフロムエー(現リクルート)勤務。98年、結婚を機に義父が経営する大都に入社。2002年にEC事業を立ち上げ、11年に代表取締役へと就任し、現在にいたる。14年、体験型DIYショップ事業を開始。17年、ホームセンターチェーン・カインズと資本業務提携。