キャリア・教育

2018.03.02 08:00

北朝鮮の粛清を生き抜いた古老、金永南という「無難」な存在

平昌五輪に参加する金永南氏(左)と金与正氏(Photo by Jean Catuffe / Getty Images)

4年に1度の冬の祭典である平昌冬季五輪。日本は金メダル4個を筆頭に合計13個という過去最高のメダル獲得数で終了した。

しかし、世界的に見れば、平昌五輪で最も話題となったものの1つは、北朝鮮の最高指導者・金正恩氏の実妹である朝鮮労働党中央委員会宣伝扇動部第1副部長・金与正(キムヨジョン)氏の訪韓だろう。

北朝鮮で権力を世襲し続ける金一族直系血族者の中で初めて韓国の地を踏んだ与正氏は、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領に対し、正恩氏の親書を手渡し、南北対話に向けた訪朝を要請した。

だが、今回私があらためて注目したのは、彼女に付き添って訪韓した北朝鮮最高人民会議常任委員長・金永南(キムヨンナム)氏の存在である。

平昌五輪開会式直後に各国首脳が参集した韓国の文大統領主催のレセプションでは、文大統領とともに北朝鮮代表の金永南氏、アメリカのペンス副大統領、安倍首相が同じテーブルを囲むことになった。この配置は日米韓と北朝鮮の融和を狙う文大統領の「策略」と噂された。

しかし、ペンス副大統領はわずか5分ほどで会場を後にした。一方、安倍首相はレセプション後半で自ら金永南氏に近づき、拉致問題の全面解決を求める日本側の立場を伝えたとされる。この金永南氏とは一体、いかなる人物なのか。

粛清なしに語れない北朝鮮の歴史

北朝鮮が建国以来、苛烈な粛清で3代世襲を維持してきたことはよく知られている。1948年以降、約半世紀トップに君臨した国家主席・金日成(キムイルソン)氏の粛清は、まさにその典型だ。

建国時の北朝鮮指導部は、金日成氏ら満州抗日武装闘争組、旧ソ連共産党帰国組、中国共産党指導部直結の帰国組、韓国から越北した共産主義者組によるモザイク状態だったが、1960年代後半までに満州組以外のメンバーは粛清で一掃された。

2代目の国防委員長・金正日(キムジョンイル)氏、3代目の国務委員長・金正恩氏はともに父親の生前から後継者として台頭してきたが、先代の古参幹部を擁しての権力継承の道は平坦とは言えなかった。

そのことは元首としての肩書が国家主席、国防委員長、国務委員長と変遷していることからもうかがえる。時々の情勢に応じ、宮廷内クーデターともいうべき組織の改変と粛清で最高指導者としての地位を固めた結果だ。

実際、94年に金正日氏が代を継いだ際は、義弟の張成沢氏が主導し、古参幹部ら約2万5000人を粛清。金正恩氏の世襲後はロイヤルファミリーの一員として中国とパイプを持つ張成沢氏までもが処刑され、その他にも数多くの幹部が処刑されたと報じられている。

また、北朝鮮では、処刑のみならず思想教育という形で指導層幹部が左遷され、表舞台から姿を消すことも頻繁に起こる。

外交官僚としての半生

そうした中で、金永南氏は金日成氏時代の1970年に北朝鮮の独裁政党・朝鮮労働党の中央委員に選出されて以降、左遷すら噂にならずに高位を維持し続けている。今回の訪韓直前に90歳の誕生日を迎えたばかりだ。北朝鮮という政治的・経済的に過酷な国で、政治的・生物学的に生き残り続けている奇跡の人である。
 
金永南氏の肩書は北朝鮮の国家主権、立法の最高機関・最高人民会議の常任委員長である。日本の政治システムに置き換えるならば衆議院議長だが、北朝鮮の現憲法では対外的・儀礼的な国家元首とされている。

安倍晋三首相も一員として同行した02年の日朝首脳会談時、当時の小泉純一郎首相を平壌順安国際空港に出迎えたのも金永南氏である。

なぜ彼は、約半世紀にわたり粛清を免れてきたのか。その理由は推察の域を出ないが、金永南氏が朝鮮労働党の国際部副部長、国際担当書記、外交部長と外交畑一筋で歩んできたことと無縁ではないだろう。

外交は全く文化が異なる国と国の関係であり、最終政策判断は最高指導者直々になりやすい。担当者の裁量権は狭く、必然的に単なるメッセンジャーとなる。一方、内政では担当者の裁量権は広がり、目先のことゆえに政策遂行の成否は見えやすい。金永南氏は立場上失点しにくかったといえる。
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文=村上和巳

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