谷本:ExOという概念を発見したサリムさんのパーソナルな話にも興味があります。どこで生まれ、どのように育ったのですか?
イスマイル:10歳まではインドにいたんです。ただ、私の父が、騒音・ホコリ・公害・汚職が嫌いで、それから離れたいと、一家でカナダに移住しました。結局、そこに住みつくことになるのですが、私自身はその後、ビジネスでヨーロッパに渡りました。フランスで事業を始めようとしましたが、フランス人は知的ですごく厳しい。「論理上もうまくいくのか」が口癖で、完全に証明できない限り、動き出せませんでした。
加治:とても面白いですね。私は日産自動車時代、ルノーと一緒に仕事をする機会があったのですが、そのときフランス人から感じ取ったのは、“日本的な何か”でした。フランス人と日本人は相性が良いのかもしれませんね。
谷本:シンギュラリティ大学へ参画するきっかけは何でしたか?
イスマイル:その後、ニューヨークに移り、Yahoo!とNASAとのプロジェクトを行うことになったのですが、ある日、「大学を立ち上げようとしている人がいる。70人の志高きリーダーたちをシリコンバレーに送ったのだが、一緒にやらないか?」と誘われたんです。
谷本:もともと育成に関心が高かったのですか?
サリム:いえ、実は創設者のレイ・カーツワイルもピーター・ディアマンディスも知りませんでした。今でも覚えているのですが、ピーターと初めて顔を合わせた日、帰宅して妻に「今日はどうだった?」と聞かれ、「どうやら僕は学長らしい」と言ったんです(笑)。
加治:それが学長就任の日となったのですね。実際的な役割としては何を?
サリム:共同創業者兼CEOという立ち位置でした。でも実際にやっていたのは、教授陣のリクルーティングからプリンターのカートリッジ入れ替えまで全てでした。まさにスタートアップです。
加治:0から1、ですね。
サリム:はい。最初の一年は、メンバー5名でこの組織を構築し稼働させました。ExOのパラダイムは、この経験から来ています。ある日、ロンドンのビジネススクールのトップが、我々の評判を聞きつけ尋ねてきました。「何人でやっているんだ?」と聞かれ「5人だ」と言うと、彼の脳内が崩れ落ちていくのが分かりました。
加治:なんで5人しかいないのに出来ちゃうんだと。
サリム:興味深かったのは、私たちの運営が彼にとってなぜこんなに理解しがたいことだったのか。全てにおいてグーグルドキュメントを使っていただけで、運営は非常にルーズでした。彼の腑に落ちなかったのはそこだと思います。それを体系化しようと、ExOの本が生まれることになったのです。
シンギュラリティ大学創設メンバーの一人、サリム・イスマイル
谷本:シンギュラリティ大学を成功に導いた要因をどのように分析しますか?
イスマイル:もし私が20年間のキャリアを教育機関で過ごしていたら、シンギュラリティ大学にとっては最悪な人材だったでしょう。なぜならば、過去の遺産的な考え方を強く持っているから。この10年ほどで私が成功できた理由の一つは、毎回全く知らない領域で働いていたからだと考えています。