最初の絵画を購入したのは86年、23歳の時。ヴィクトリア朝の水彩画だった。92年には、ビバリーヒルズの画廊で見かけたフランスの風景画を購入した。その翌年には、19世紀の農村や農民を描いたフランスの画家ジュール・ブルトンの作品を最初に購入した。この画家について知識があったわけではなく、「単に好きだから」というのがきっかけだ。しかし、持ち前の探求心から調査を重ね、今や世界一のブルトンのコレクターへと成長した。なんとブルトンの手紙まで所蔵している。
ウィダー氏の案内で邸内の絵画を見て回る。今回の冒頭ページに掲載した水汲み女を描いた「アルトワの女」の前で立ち止まる。当時絵画は貴族など「高貴な人々」を描いていた。にもかかわらず、病を持ってくるなどとまで言われた水汲みの女性を描くというのは、画期的なことであった。コレクションの中でもお気に入りの一点だ。
ここまで労働を「聖なるもの」として描く作品に興味があるウィダー氏が、なぜミレー作品は所蔵していないのか、気になって聞いてみた。答えはブルトンという画家を深く知るコレクターらしいものだった。「ブルトンの作品には労働に対する深い尊敬と共感が感じられる。一方ミレーの描いている農民は疲れていて、自発的に働いている姿が見られない」と。
ミレー作品について、そのような視点から考えたことはなかったが、帰国後調べてみると、たしかに労働を終えて疲れた表情の作品が多く見られた。
話題は、ウィダー氏が元サザビーズの19世紀芸術のスペシャリスト、ポリー・サルトリ女史と12月にロサンゼルスのMGM本社の隣にオープンするギャラリー、その名もズバリ「ギャラリー19C」に至った。
ギャラリーマネジャーにもゲティ美術館の元リサーチ専門家をすえる等、収集対象の主流ではなくなりつつあった分野に関心を持ってもらうために学術的アプローチを試みている。コレクターが思いつきでギャラリー経営に乗り出す例は残念ながら少なくないが、一流の人材を揃え、にわかギャラリーとは一線を画している。
帰り際に、玄関横の螺旋階段に掛かっている絵画だけ他と趣きが違う華やかなサロン風なことに気が付き、理由をたずねた。
夫人の希望で購入したギョーム・セニャック「アモールの出現」(1895年頃)。セニャックはサロン絵画の重鎮にして神話画の大家ブーグローの弟子。
「家内が、農民以外を描いた絵も欲しいというので」と照れ臭そうに答えた。
キャビネットの上に飾られた4歳になったかわいらしい息子さんの写真に目がいく。労働の尊さを語りかけるコレクション一点一点が、ウィダー家の精神を次世代にバトンタッチする役割を果たすのではないかと想像した。
石坂泰章が案内するアートの最前線!
「Art World」連載一覧はこちら>>
エリック・ウィダー◎カナダ・モントリオール生まれ。叔父、ジョー・ウィダーが創立したスポーツ関連事業大手のウィダーグループを1996年に継承する。ウィダーヘルスアンドフィットネスおよびウィダーヒストリーグループCEO。歴史好きな父の影響のもと、南北戦争資料の収集を経て、19世紀絵画の収集に熱中する。