チーズ入りのフィラデルフィアロール、うなぎ巻き、レインボーロールなどがセットになった人気メニューの名は「フュージョン」。750ルーブル(約1500円)。
外食文化の経験の浅さは、もうひとつの理由といえるだろう。
1990年代のソ連崩壊後に苦境に陥ったこの町で外食文化が始まったのは、ほんの10年前くらいから。ここ数年、街場のレストランが増えてきたというものの、食に対して保守的で、1日の正餐は昼食。夜はパンとスープで軽くすますという時代が長かった彼らは、外国料理に関して味より話題性や派手な趣向を好むという。
実際、『Tokyo Kawaii!』では、夏の暑い盛りに戦国武士の甲冑を身に着けさせた客引きを店の前に立たせているほど。これが奇をてらった演出というより、日本文化を表象するアイコンとしてすんなり受け入れられている。日本にはいまもサムライがいると思っている外国人はけっこういるのだから。
それほどロシア人にとって日本は遠い存在といっていい。『Tokyo Kawaii!』の店内にあふれる日本風ファッションやさまざまなアイテムも、海外のアート表現のひとつとして大まじめに捉えられているふしがある。「かわいい」も固有の文化としてリスペクトの対象なのだ。実際、この店の客層はお金に余裕のある人たちで、品のいい若い女性やカップルが多い。ここが地元でハイソな人気スポットとみなされているのは確か。
これはウラジオストクという辺境の地方都市ゆえの過渡的な現象なのだろうか。
日本食の海外進出の歴史を振り返ると、1980年代のアメリカ西海岸におけるヘルシー志向の巻物寿司ブームが牽引した欧米ルートと、1990年代の円高とともに日本企業と一緒に外食チェーンが渡ったアジアルートのふたつの潮流がありそうだ。
ジェトロが2014年3月に実施した「日本食品に対する海外消費者意識アンケート調査」によると、モスクワ、ホーチミン、ジャカルタ、バンコク、サンパウロ、ドバイの都市別アンケートで、サンパウロとドバイを除く4都市で「好きな外国料理の1位」として「日本料理」が選ばれたという。モスクワでも1位(35.4% )だったとすれば、ウラジオストクで日本食がブームとなってもおかしくはない。『トキオ(Токио)』グループの1号店は2008年にオープンしている。
西海岸で生まれたカリフォルニアロールは、大西洋を渡り、ヨーロッパ全域に広がり、ようやくシベリアの果てにまでたどり着いたのである。そう思うと、感慨深いといえなくもない。そこは成田からフライト2時間の「日本にいちばん近いヨーロッパ」なのである。
いまウラジオストクではロシア太平洋沿岸で生まれた新しい食文化「パシフィック・ロシア・フード」を謳うレストランが続々生まれている。日本海で採れた海鮮やタイガの森に住んでいた先住民族が口にしていた鹿肉や山菜、蜂蜜などを素材とした料理をいう。
ロシアといえば紅茶というイメージが強いが、世界中の豆を扱うバリスタのいる個性的なコーヒーショップが増えており、新しいトレンドとなっている(ちなみに、スターバックスの出店はまだ)。現地のレストラン関係者に聞くと、彼らはどうやら首都モスクワではなく、「全米で最も住みたい都市」のポートランドやサンフランシスコなどのアメリカ西海岸の港町を自らのモデルにしたいと考え始めているようだ。
確かに、ウラジオストクは太平洋に開かれた、坂道の多い港町である。100年の歴史を持つレトロな路面電車も走っている。今夏始まったビザ緩和による日本人渡航者の増加が何かを変える可能性はないのか。話はそう単純ではないが、ちょっと面白くなりそうだ。