もちろん、「自動車のデザインや製造工程を刷新し続け、効率性の限界を追求する姿勢は他の追随を許さない」と、世界屈指の自動車メーカーであるトヨタの魅力についても認める。傘下企業も含めて、2016年の販売台数が1017万5000台に上る企業なら「1人の研究者としてよりもはるかに世界に貢献できる」のも確かだ。
ところが、“決め手”になったのは意外なものだった。
冒頭にも登場した「カンパニー・ジャケット」である。トヨタの豊田章男社長をはじめとする役員と面接をした際、彼らが、工場で働く従業員と同じ作業着を身に着けていたことに感銘を受けたのだ。豊田社長をはじめ、「現場を大事にしたい」という想いから工場作業員以外の役員や従業員も作業着を着ることが多くなっている。プラットの目にはその姿が「結束力の強さ」に映った。契約を交わして伊勢清貴専務に「これで私たちの仲間です」と、作業服を手渡されたときは感動したという。
またプラットは、豊田社長とは「日本には『愛車』という表現があるが、『愛冷蔵庫』と言う人はいない」という話で盛り上がったとも明かす。
「私はクルマとはヒトの身体機能や能力を拡張するものだと考えています。アクセルを踏んだり、ステアリングを握ったりすると、クルマから力強い反応が返ってきます。すると、ドライバーはクルマに信頼を覚え、強い絆が生まれるのです。冷蔵庫ではそうしたことはありません」
「感情」「気持ち」「喜怒哀楽」。インタビュー中、プラットはこうした言葉を幾度も繰り返した。機械よりも人の気持ちについて多く語る彼は、今日のIT企業に見られる「ディスラプト(既存産業の破壊)」を高らかに謳うCEOとは少々異なるのだ。
AI研究とは「人間」の研究
各自動車メーカーがIT企業と提携する理由の一つに「AI」がある。彼らが持つAI技術を“頭脳”として搭載することで、自動車の性能が格段に上がり、ひいては完全な自動運転への道が開かれるのではと期待しているからだ。
だがプラットは、自動運転を推す際に語られがちな「『(人間による)事故や死亡者が多い。だから(機械による)自動運転が必要だ』」といった意見に対しては、「論理的に飛躍している。自動運転は安全性を高めるための潜在的な答えの一つにすぎない」と与くみしない。むしろ、「人々がより楽しく、より安全に運転できるよう寄与する」ほうがトヨタとTRIの思想に近い。
そのためにも、プラットは「人間」について、よりいっそう理解を深める必要があると考えている。例えば、「自動運転車への過信によって事故が起きる可能性もある」という。仮に、自動運転車が100km走行するごとに1度ミスをすれば、乗る人は警戒するだろう。ところが1000kmに1度しかミスしないと聞けば、途端にミスしないものと錯覚してしまうのだ。
「無事故が続くと、人間はもう事故は起きないだろうと思い込む傾向にあります。これは興味深いパラドックスです。つまり、システムが優れていて信頼できるほど、人は過信してしまうのです。こうした認知バイアスについても考える必要があります」
とはいえ、人がどこまで機械のミスを許せるかも課題の一つだ。事故が起きると、人は自分に置き換えて考えることができる。不運な事故では、加害者の立場を慮おもんぱかることさえある。だが、私たちは機械に対しても同じように「共感」できるだろうか?
その答えは出ていない。プラット曰く、AIやロボティクスについての研究とは、「機械ではなく、ほかならない人間自身について考えること」なのだ。