その理由としてフレージャーは、「メルクのCEOとして、また自らの良心の問題として、不寛容と過激思想に反対する姿勢を明らかにする責任があると考える」と同社のツイッターアカウントに投稿した。
辞任の決断は明らかに、バージニア州シャーロッツビルで12日に起きた「オルタナ右翼(alt-right、オルト・ライト)」や複数のネオナチ団体と反対派の衝突について、トランプ大統領が白人至上主義者らを明確に非難しなかったことに関連している。
同CEOは、「米国の指導者たちは、全ての人々は平等であるというわが国の理想に反する憎悪や偏見、優越主義を明確に否定し、われわれの基本的な価値観を尊重しなくてはならない」ともコメントした。
トランプはこれに対し、「…これでぼったくりの薬価を引き下げるための時間が増えるだろう」とツイッターに投稿している。
このやり取りが目を引くのは、前例のない大統領と大企業の現職CEOによるツイッターを通じた議論だからというだけではない。フレージャーが大企業のトップに就く、わずか一握りのアフリカ系米国人の一人だからだ。
ただ、フレージャーの経歴を知る人たちにとって、辞任は驚くことではない。同CEOはそのキャリアを通じて、道徳的な態度を貫き、大きな戦いに挑んできたこと、そして無実の罪で死刑判決を受けた黒人男性の再審を担当し、無罪を勝ち取ったことで知られている。
常に「良心に従い」行動
フレージャーはペンシルベニア州フィラデルフィアで育った。十分な教育を受けることができなかった父親は、施設の管理人として働いていた。その父親についてフレージャーは、「人生で出会った最も知的な人物の一人」と述べている。父親は毎日、新聞2紙を隅から隅まで読み、3人の子供たちが大学に進むとその教科書をむさぼるように読んでいたという。
フレージャーはいずれも奨学金で、 ペンシルベニア州立大学とハーバード大学ロースクール(法科大学院)で学んだ。卒業後は1978年から地元のドリンカー・ビドル・. アンド・リース法律事務所で弁護士として働き、メルクが関わっていた裁判を担当。勝利を勝ち取った。
1992年にはスウェーデンの製薬会社アストラ(現アストラゼネカ)とメルクの合弁事業を行うアストラ・メルク・グループ(胃腸薬「プリロセック」を販売)の法務責任者に就任。その後、1994年にはメルク本社に招かれ、広報業務に関連する問題を担当した。