1999年にメルクの法律顧問になると、特に(リウマチの痛み止めなどに広く使われていた)鎮痛剤「バイオックス」に関連する数多くの訴訟を担当した。メルクは2004年、重篤な心疾患を引き起こす危険性が確認されたことを受け、この薬の販売を停止している。
ウォール街のアナリストらの中には、同社がこの問題で支払うことになる費用は500億ドル(約5兆5000億円)に上るとの見方もあった。だが、それぞれの訴訟について個別に扱うべきとの考えを貫いたフレージャーの対応によって、賠償金は総額50億ドル未満にとどまった。そして、バイオックスの問題からメルクを救ったことが、2011年の同社CEOへの就任のきっかけとなった。
トップ就任後も、フレージャーは実験的薬剤の開発や2009年の競合シェリング・プラウの買収など、数々の大きな課題に直面した。だが、バイオテクノロジー企業アムジェンから研究開発のトップとして招いたロジャー・パールマターとともにがん免疫薬「キイトルーダ」の開発に成功。肺がんと黒色腫の治療に大きな成果を上げた(ジミー・カーター元米大統領の命を救ったのは、この薬だとされている)。
フレージャーはこれまで決して、大きな戦い前にしても後ずさりすることがなかった。メルクという企業の歴史についても、常に熟慮している。フレージャーを現在のポストに推薦したのは、同社のロイ・バジェロス前CEOだ。カーター元大統領とともに、発展途上国での河川盲目症(オンコセルカ症)の治療のために尽力したことで知られる伝説的CEOだ。
フレージャーは2013年にフォーブスの取材に対し、「私はロイに招かれてメルク経営陣に加わった最後の一人。そのことを誇りに思っている。だが、同時にロイから受け継いだ遺産だけでなく、メルクの伝統を受け継いでいくことを考えなければならないという責任を感じている」と述べている。
一方、現在はバイオ医薬品のリジェネロンの会長を務めるバジェロスは今回の件について、「諮問委員の辞任を決意したことには驚いた」「ケネスは全てにおいて、強い倫理観に基づいて行動する人物だ。今後もずっと、彼を誇りに思い続ける」とコメントしている。