ビジネス

2017.08.31

ビジネスモデルが変わるチャンスを逃さないために | 出井伸之

クオンタムリープ代表取締役 出井伸之氏

人生は岐路の連続。最良の選択でチャンスを呼び込むためには、自身と深く対話し、自分の中の価値観をつくり変革していくことが重要である。この連載は、岐路に立つ人々に出井伸之が送る人生のナビゲーション。アルファベット順にキーワードを掲げ、出井流のHOW TOを伝授する。

今回は、B=Business Modelについて(以下、出井伸之氏談)。



日本のビジネスモデルは、1990年代から大きな変化がないとも言われている。

確かに、インターネットの登場が一部でビジネスの流れを変えた。しかし、日本の企業を見ていると、社会を支配するルールそのものが変化していることに気づいていないか、あるいはそれに気づいていない”ふり”をしているように思われる。今でも日本で上位にあるのは、戦後に規格品の量産で世界に勝利したものづくり企業ばかりだ。

ビジネスモデルの変化の歴史を紐解くと、最たる変化は馬車から自動車への移行だった。エネルギーがビジネスモデルに変化をもたらしたのだ。それに匹敵する変革を引き起こしたのが、1990年代のインターネットである。この変化をいち早くつかんだ米国では、GAFA (Google、Amazon、Facabook、Apple) をはじめ、ツイッターや、リンクトインなども併せて、プラットフォーム型と言われる企業が多数出現した。

中国でも、バイドゥ、アリババ、テンセントが巨大企業として成長し、2015年から中国そのものをプラットフォーム化する「中国脳計画」が進んでいる。

日本はどうだろうか。楽天をはじめとするいくつかの企業は、インターネット時代の新しいビジネスとして成功を収めている。しかし、日本の多くの企業が、プラットフォーム型の新ビジネスモデルの創出を目指しているのに、まだそうなりきれていないのが現状である。

この流れをさかのぼると、バブル崩壊後、苦境に陥った日本企業が必死になって進めた合理化にたどり着く。例えば、かつて数多く存在した銀行は合併を進めて、3つのメガバンクに収斂したし、苦境に立たされたメーカーも後を追うようにその場しのぎとも言える合併・吸収を繰り返し現在に至っている。

バブルの破裂は、サッカーでいえばオウンゴールだ。バブル崩壊までに大きな余裕があった銀行は貸し続けていたが、バブル崩壊を機に貸しはがしを進めるようになり、企業は資金の返済に走り、個人経営者は不動産を売り、家庭でも主婦がブランドバッグを手放した。日本ではこういった連鎖が不況を生み出していったのである。
 
その間、米国は政策としてIT系企業と金融業界を優遇して両者を進化させ、中国は産業革命と情報革命を同時進行させた。それでも、当時は誰も、ハーバードのとある学生がプラットフォーム型企業を創業し、10年後に世界を席巻する新たなビジネスモデルを生み出すとは思っていなかっただろう。

恐竜ではなく哺乳類を目指す決意をした日

1993年、当時の米国副大統領、アル・ゴア氏のスピーチ聞くため、私はロサンゼルスに向かった。そこで、当時大統領だったビル・クリントン氏とともに掲げた全米規模の情報通信ネットワーク「情報スーパーハイウェイ構想」(NII)が大々的に発表され、大きな衝撃を受けた。

私はすぐに、当時ソニー社長だった大賀典雄氏にレポートを送った。そこには、NIIで情報通信が全世界的に普及した世の中を思い浮かべ、以下のような未来予測を綴った。

1. ネットワークを利用した巨大企業が21世紀の初頭に2、3社出現する
2. 一方方向のマスメディアから双方向のパーソナルメディアへ変革する
3. 受信するだけのデバイスが、インテリジェンスを持つ

いつまでもコンシューマー用のアナログ機器を量産していたら変化の波に乗り遅れる。そう感じた私は、その後ソニーの社長に就任すると同時に「デジタル・ドリーム・キッズ」という企業理念を掲げた。デジタル技術に夢を託し実現を目指す子どものように、目をキラキラ輝かせる人々を創り出す──そういう会社になるという思いを込めたものだ。

インターネットは、いわば巨大な隕石だ。遠い昔、ユカタン半島への隕石衝突によって恐竜が死に絶え、その結果、小さな哺乳類が生まれた。「我々ソニーは哺乳類になろう」。企業変革を決意した日のことは、今でもよく覚えている。
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インタビュー=谷本有香 構成=華井由利奈 写真=岩沢蘭 取材協力=Quantum Leaps Corporation 撮影協力:Union Square Tokyo

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