待機児童問題を解決に導く切り札と期待される「小規模保育所」は、2015年1655園、16年2429園とここ2年で急増している。
この背景には、定員6〜19人の小規模保育所が15年4月、「子ども・子育て支援法」の施行により「小規模認可保育所」として国の認可保育所となったことがある。従来の認可保育所の設置基準では、定員20人以上、子ども1人あたりの面積も定められており、ニーズの高い都心部で、保育園をつくるためのスペースを確保できず、新規開設が難しかった。
小規模保育所が認可保育所となることで、空き家やマンションの空き室などを利用しても保育園を開設できるようになり、“新設ラッシュ”となったのだ。認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹(37)が10年、実験的に初めて小規模保育所「おうち保育園」を立ち上げてから、わずか6年間での出来事だ。
「政策化」という戦略
駒崎が待機児童問題に関心を持ったのは、08年。フローレンス社員が「子どもが保育園に入れず、職場復帰できない」と退職を考えざるをえない状況にあることを知ったことからだ。駒崎は「社員のための保育園をつくれないか」と考え、実行に移していく。まず、役所に相談にいく。しかし、従来の法制度の中では、大きな施設が必要であり、簡単につくることが難しいことがわかった。
「すぐさま厚生労働省保育課に電話をいれたんです。定員20名以上という設置基準の根拠を問い合わせました」
返答は、「理由はわからないが、前からそうなっていた」というものだった。
法規制に根拠がないと知った駒崎は、厚労省にかけあい、交渉を繰り返し、実験的に小規模保育所を開設する許可を得た。10年4月、駒崎は、当時、待機児童問題のメッカと呼ばれていた江東区豊洲にある都市再生機構(UR)のマンションの1室を借りて、日本ではじめての小規模保育所「おうち保育園」を開設した。
定員9名のところに20数名から応募あり、保育士も3名の枠に10数名から応募があるなど、「第2のおうちのような温かい保育」をうたった同保育所は、順調なスタートをきった。
その後、「おうち保育園」が「少人数で手厚い保育ができる」と注目されはじめると、数多くの政治家や官僚が視察に訪れた。その中には、後に厚生労働省事務次官を務めることとなる村木厚子の姿もあった。12年当時、待機児童対策チームのリーダーを務めていた。
「村木さんとは以前から交流がありました。『小さな保育園ならつくりやすくていいわね』とおっしゃっていただき、当時の法案に『おうち保育園』の事例をいれていただいた」
こうして「おうち保育園」の試みは、小規模認可保育所という形で「子ども・子育て支援法」に盛り込まれ、制度化された。こうした一連のストーリーは一見、思いのある小さなNPOがはじめた小さな挑戦が行政に認められ、国の制度になった─という心温まる話のように見える。しかし、実際は、駒崎が用意周到に準備した「シナリオ通り」の展開だった。
「我々が『政策化』と呼ぶ社会課題解決のための戦略です」と語る駒崎は、その手段をつぎのように説明する。