ただ、それらが公表されるずっと以前から、さらに連邦最高裁判所がこのガイドラインについて「差別と考えられる点が数多く見受けられる」との見解を示す以前から、A&Fの販売員らが同社によって「キュレート」(展覧会などを監督すること)されていたことは、明らかだった。
A&Fのそのやり方は、ブランド戦略としては機能していた。だが、A&Fの人気は高校生のグループのように、仲間に入れない人たちに居心地の悪さを感じさせることで成立するものだった。同社が作る「細いウエストと長い脚、ストレートのロングヘア、彫りの深い顔立ち」といった“型”に当てはまらない十代の少女たちは、居心地の悪さを感じることなくA&Fで買い物をすることができなかったのだ。
そして同社はファッションの面だけではなく、根本的な考え方の面でも、多くの消費者の支持を失っていった。
「魅力的な」白人のためのブランド
A&Fは人種の多様性を認めない、白人中流階級のためのブランドだった。インターネット上で同社に対する批判が巻き起こるずっと前から、同社の店で働くためには一定の外見でなければならないということは、よく知られていた。
ただし、公平を期すために指摘しておくが、人材の配置を配役のように捉えているのはA&Fだけではない。レストランはどこも、同じようなことをしている。ただ、時間の経過とともに、A&Fが描いてきたその特定の“風景”が、時代遅れになったのだ。
信仰する宗教や体形、身体障害などを理由に消費者を差別しているという報道が相次いだことも、同社が特定の人たちだけ、つまり白人の、「従来から」魅力的とされてきた、痩せた人たちだけのためのブランドだという見方を広めることにつながった。
現在の十代の若者たちは、他の人たちと同じだとは見られたくない。ソーシャルメディア上で、人目を引く存在になりたいのだ。A&Fは、消費者たちがいかに自分を表現し、特徴付けることに力を入れているかということを考えていない。同社に対する買収提案がどのようなものになろうと、消費者のこうした考えを変えることは不可能だ。