UNHCRは住民たちの保護、援助、避難を行い、中満が司令官たちとの交渉を続けた。そんなある日、初老の男性が事務所を訪ねてきた。彼は、クロアチア系の市民だった。
「もう、これ以上、かくまうことができないから、あなたを訪ねてきた」
彼は乗ってきた車から二人の女性を連れてきた。聞けば、イスラム系の友人が亡くなった後、その未亡人と娘を自宅でかくまっていたという。しかし、連夜、刑務所から出てきたような黒装束の武装した男たちが家宅捜索にやって来る。「このままでは見つかってしまい、大変なことになる。何とか、この二人を助けてほしい」。軍の検問を切り抜けてきた男は、そう懇願したのだ。
この初老の男性だけではなかった。所長の中満に協力する者は民族に関係なく、少なからず現れたのだ。
「民族浄化の恐ろしい状況下で、政治や軍事的な状況が一つの方向に流れてしまうと、おかしいと疑問を抱いていても市民はどうすることもできません。善良な考えをもった市民の声はかき消されて、恐ろしい勢力が力をもってしまう。でも、勇気をもって私たちのところに来て、世界に発信してほしいと報告する人々がいるのです」
憎悪を煽られ、たがが外れるのも人間ならば、勇気をもって行動するのも人間である。人間、どちらにも成りうるが、あの初老の男性を前に、彼女はこう確信した。
“こういう勇気をもった人がいるからこそ、私はこの仕事をしているんだ”
「私はここを動きません!」
「人間は根本的にはそれほど悪くはなくて、恐怖心で簡単に流されるのだと思うんです」
悲惨な現場を多く見てきたはずの中満はそう言う。彼女の話や彼女が書いてきた記録を読むと、確かに人間は善悪の間を揺らぎ続けているかのように見える。
中満の有名なエピソードにボスニア軍の将軍を怒鳴った一件がある。それは、セルビア人勢力に包囲されたスレブレニツァ市から住民を脱出させたときだった。国連のトラック10台に負傷者や女性、子どもをすし詰めに乗せて薄暗い雪道を走っていると、ボスニア軍が取り囲んだのだ。トラックの荷台で飢えと疲れでぐったりした避難民に、兵士たちが銃口を向けた瞬間、中満は猛然と食ってかかった。「あなたたちは、何てことを!」。
兵士は「引き返せ!」の一点張りだ。中満は怒りで体を震わせ、同行していた国連防護軍の大佐が応援を呼んでいる間、彼女は市内に取って返した。そして、ボスニア軍司令部のドアを荒々しく開けると、そこにいた将軍たちに向かって、「通行の許可命令を出すまで、私はここを動きません!」と、激論を始めたのだ。
口論は1時間ほど続いたが、突然、首都から連絡があり、通行を許可された。実は、緒方貞子の特使がサラエボで閣僚を説得したからだとのちに知らされた。
さらに彼女が驚いたのは、現場のトラックに戻ったときだ。さっきまで避難民に銃口を向けていた兵士たちが、避難所に誘導されたトラックから負傷者たちに手を貸し、介護をしていたのだ。
だから、彼女はこう思う。人間は本当は明日の世界をより良くしたいと思っている、と。