——『そして父になる』では初めて放送局(フジテレビ)と組んでいらっしゃいますが、このご経験についてはいかがでしたか。
是枝 正直いうと、それまで放送局が映画製作に関わることには、非常に抵抗がありました。“放送”というメディアが、「電波ジャック」と呼ばれるかたちで、自ら出資をした映画の宣伝のために“放送”を利用する。民放とはいえ、公共の電波を使っているわけだから、映画の多様性には背いているのではないかと感じていた。でも、小さな単館の映画館をつないで興行が成立していた時代が終わってしまった以上、シネコンや放送局と組まずに撮りつづけることは不可能に近かった。批判を覚悟で、僕は「撮りつづける」という選択肢を選びました。
実はフジテレビとの付き合いは1991年3月に放送されたドキュメンタリー『しかし… 〜福祉切り捨ての時代に〜』まで遡ります。僕は大学卒業後に制作会社テレビマンユニオンに在籍し、28歳でやっとディレクターデビューをしたものの、ボツを出してそのレギュラー番組から離れることになった。「自分には向いてないんじゃないか。この業界を離れて教師にでもなろうか」と悩んでいた90年、フジテレビ深夜の編成部長を紹介してもらって、NONFIXというドキュメンタリー番組枠で自分の企画した先の『しかし…』という番組を撮ることができたんです。そのフジテレビが、「このままでは映画がつくれないかもしれない」と思い悩んでいた2010年に、もう一度僕に声をかけてくれた。20年経って、僕のピンチをまたもや救ってくれたという(笑)。非常にありがたかったです。
——いまの邦画は多くが製作委員会方式、つまり主導権を持つ幹事会社が複数の会社に対して出資を募り、資金リスクを分散する一方で、利益が出た場合はこれを出資比率に準じて分配するという方法を取っていますね。このシステムの功罪について、是枝監督はどのようにお考えですか。
是枝 僕の映画でいえば、デビュー作の『幻の光』だけがテレビマンユニオン一社での製作(出資)で、あとは複数で製作しています。個人的な経験でしかないですが、製作委員会が何十社もあるのはちょっとしんどいと思う。リスクが軽減されるからか、出資者たちが「これは自分たちの映画だ」と思って愛情をかけて積極的に動くかというと、そうでもない。彼らにとっては“製作”というよりも“投資”という意味合いが強いのではないかと。製作に関わってその映画を愛してくれるのか、儲けるための投資と考えるのか、つまり、ビジネスの利潤追求と考えるか、映画文化への参加まで視野に入れるのか、その違いは大きい気がします。
——『映画を撮りながら考えたこと』の終章「これから『撮る』人たちへ」では、いま語っていただいた製作委員会方式や、放送局と組むことも含め、映画を黒字化することの難しさが書かれています。特に「製作費」「興行収入(興収)」「配給収入(配収)」などは映画ニュースで耳にはするけれど、その実態はよくわかっていなかったので、とても興味深い話題でした。
是枝 珍しくビジネス誌でのインタビューなので、ここでもその話をしましょうか。たとえば1億円の製作費(宣伝費も含む)をかけて映画を撮り、劇場に3億円が入った場合、この3億円が興収となります。そのうち半分の1億5,000万円が劇場収入。これは契約の段階で50対50や55対45など、映画をつくった製作会社と劇場の力関係で決まります。
この劇場収入を引いて残ったものが、配収です。たとえば1億5,000万円のうち、配給会社が取る配給手数料がだいたい2割で3,000万円。残り1億2,000万円が出資者、つまり製作委員会に戻ってきます。製作費分を引くと残り2,000万円で、これが純利。
出資額が1億円で、1億円が戻るというのは、もちろん大成功の部類です(本来はここにDVDの印税や放送権が入ってとんとんになればOKです)。実際のところ、劇場だけで回収できている映画は1割くらいか、それより少ないはず。テレビ局資本のものを除けば、劇場だけで回収できているのは3%くらいではないかと思います。
また、黒字になった場合の成功報酬契約を結んでいれば、上限で純利の15%程度を製作会社がもらえます。1億円を出して1億2,000万円残ったら、2,000万円の15%で300万円が製作会社への成功報酬になるわけです。残りの1,700万円は製作委員会で純利として分けます。監督がもし純利に対して3%をもらうという契約を結んでいたとしたら、2,000万円の黒字で3%だから60万円が支払われます。
これでなんとなく理解してもらえたと思うのですが、映画を成功させる(この場合は製作費をとんとんで回収できるか、それ以上の利益をあげる)というのは非常にたいへんなことです。監督が儲かるのはもっとたいへんです(笑)。