——20年前の東京国際映画祭には新人監督の次回作に4,000万円を出資する、返済義務なしの助成金システムがあったそうですね。是枝監督の2作目の『ワンダフルライフ』はその助成金に恵まれたとか。現在では、文化庁の「映画製作への支援(文化芸術振興費補助金)」で、1億円以上の製作費に対して助成金を上限2,000万円まで支払う、というのがいちばん大きい額の助成でしょうか。
是枝 ええ。それもドキュメンタリー映画だと1,000万円が上限だったかと。日本も自国の文化を守るために、もっと国が積極的に助成すべきではないかと思うんですが……。
一例を出すと、フランスの場合、自動助成システムが確立されていて、映画館の入場チケット収入全体の10.72%が特別追加税としてCNC(フランス国立映画センター)に還元され、それがフランス認可の映画制作に投入されています。非常にナショナリスティックなやり方ですが、そうまでしないと自国の映画を守れないという危機感がフランスにはある。もちろん、保護政策になりすぎると伝統芸能に近くなってしまうので、ある種の勢いを失わせてしまうかもしれないけれど、「自国から生まれた文化をアメリカの商業主義から守るのだ」という価値観・意識がフランスは強いのではないかと。
といっても、映画製作の助成も、出せばOKというわけではなく、そこに確固たる“哲学”がないと意味がないんじゃないかと思うんです。
たとえば、映画祭というのは、「映画の豊かさとは何か? そのために私たちは何ができるのか?」を考える場です。映画を神様に譬えるつもりはありませんが、映画の僕(しもべ)として自分たちに何ができるのかを思考し、映画という太い河に流れる一滴の水としてそこに参加できる喜びをみなで分かち合う、それが映画祭です。決して「映画が私たち日本の経済に何をもたらしてくれるか?」をアピールする場ではありません。
でも、残念ですが、東京国際映画祭はいまだ「日本映画を売り込む場所」という認識が強い。国威発揚としてオリンピックを捉えるのとまったく同じです。「映画のために」「スポーツのために」と考える前に、「日本のために」を考えてしまう、その根本の意識から変えていかないと、映画祭もオリンピックも本当の意味での成功は成し得ないと僕は思う。
助成も同じで、たとえばですが「国威発揚の映画だったら助成する」というようなことにでもなったら、映画の多様性は一気に失われてしまう。国は、基本的には後方支援とサイドからのサポートで、内容にはタッチしないというのが美しいですよね。短絡的な国益重視にされないように国との距離を上手に取りながら、映画という世界全体をどのように豊かにしていくか、もっと考えていかなければいけないなと思います。
”世界のコレエダ”が語る映画にまつわるお金の話
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『映画を撮りながら考えたこと』
是枝裕和・著 ミシマ社刊 416ページ 2,400円(外税)