「文化起業家」出現の背景には何があるのか? あまたの起業家や投資家と通ずる経営学者の入山章栄が、カルチャービジネスにおける新潮流を読み解き、解説する。
今世界で最も裕福な経営者は誰か。答えは、ジェフ・ベゾスでもイーロン・マスクでもなく、ベルナール・アルノー。言わずと知れたルイ・ヴィトンやクリスチャン・ディオールを擁する高級ラグジュアリーブランドグループ「LVMH Moet Hennessy ─ Louis Vuitton(LVMH モエ ヘネシー ルイ・ヴィトン)」の取締役会長兼CEOで、純資産総額は26兆円。今年3月に発表された米Forbes誌のビリオネアランキング最新版で、初めて首位となった。
現在の大富豪世界ナンバーワンはブランド王である、というところに注目したい。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズなどの名だたる経営者たちが「世の中を便利にする」という分野で新しい価値を生み出して成功している一方で、アルノーが展開しているブランドビジネスというのは、伝統を重んじ、文化的価値観──すなわちカルチャーを守り続けるスタイルだ。いわば利便性とは対極の「共感性」に訴えて成功しているビジネスの例と言えよう。
もちろんカルチャーにも利便性を追求する側面はあり、カルチャービジネス自体も決して新しいものではない。前述のアルノーがさまざまなブランドで展開した事業拡大の手法も、非常にトラディショナルなM&Aではある。ただ現代には、このカルチャービジネスにおける新たなアントレプレナーが出現し始めている、というのが僕の理解だ。
背景には、IoTの実現によってモノやサービスの増産時に追加でかかるコスト(=限界費用)が限りなくタダに近づいた状態を指す「限界費用ゼロ社会」がある。
前提として、国内外で貧富の差は拡大しているし、低所得で先行きを案じる若い方が日本にも大勢いることは承知している。しかし一方で、僕たちの生活に関わるモノ一つひとつの価格が、実はとても安くなっているという事実もある。
例えば、映画。昔は決まった日時に映画館に行き、一人2000円近くを払って一作品観る、ということが当たり前だったが、今は月数百円のサブスクリプションに加入すれば、自宅でいつでも誰とでも数千本が見放題。コンテンツの急速なグローバル化とデジタル化にサブスクやSNSの普及が重なり、低価格で多様なコンテンツが手に入る現代においては、僕自身も含め、みんなが「スマホ一台あれば暇にはならない」という体感を得ている。
全体の所得における我々の生活は決して豊かになっていないけれども、満足感を得るためにかかる出費は、一昔前よりはるかに少なくなっている。