「韓国の飲食店で、お客様が『スーパードライ』を次々に注文されるのを見た。歯を食いしばってやってきたことが花開いて本当に良かった」
アサヒグループホールディングスを率いる勝木敦志は、2024年11月末に韓国で見た光景をこう振り返る。
「スーパードライ」は韓国で18年に300万ケース以上を販売。輸入ビールとしてはナンバーワンだった。しかし、19年に日本製品不買運動の標的になり、20年は売り上げが9割減になった。勝木が「歯を食いしばった」と表現したのはマーケティング投資のことだ。9割減になった後もブランド浸透の投資を継続。そこに23年の『生ジョッキ缶』のヒットが加わって再び上昇気流に乗り、24年は不買運動前の記録を塗り替える販売数量を見込む。
「販売数量は23年に瞬間的に韓国2強国産ブランドに次ぐ3位になりました。数字は知っていましたが、訪韓してスーパードライがいろいろな方に愛されている様子を見て、ブランドの力がついてきたことを実感しました」
マーケティング投資が結実したのは韓国だけではない。ビールをコアとしたプレミアム化戦略を掲げ、それをけん引する「スーパードライ」「ペローニナストロアズーロ」など5つのグローバルブランドに積極的に投資してきた。
一連の投資の結果、スーパードライは24年第3四半期累計で日本を除く世界市場で販売数量が前年比14%増に。他ブランドも含めてプレミアム化が進み、日本・欧州・オセアニアの3地域合計でビール類とノンアルカテゴリーの単価向上率は3%に達している。
グローバルでプレミアム化が進んだ背景には、M&Aの成功がある。同社は16年西欧、17年中東欧、20年豪州で、計2兆4000億円近い大型買収を実行。買収後のPMIでつまずくケースも多いが、勝木は統合を急がなかった。
「日本企業は、買収した海外事業に対して、サプライチェーンや人事などすぐ横串を通したがる。しかし買収後はどこも組織は脆弱になります。安定するまでは、現地に事業をなるべく任せることが大事です」
グループとしてプレミアム化は掲げるものの、やり方は現地に適したものがある。その方針を貫いたからこそ各地で単価が向上したのだ。
勝木がPMIの手法にこだわりをもつのは、自身が買収される側、する側の両方を経験したからだろう。
大学卒業後にニッカウヰスキーに入社。バブル期は目の回る忙しさだったが、01年にアサヒビールの100%子会社になった。
「営業統合前日、仲間と飲んでさめざめと泣きました。『俺たち、終わったな。明日から廊下の端を歩かなきゃいけない』と」
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