農業やまちづくりをする人もクリエイターだ
伊藤がここ10年来、実現に向けて取り組んでいる“妄想”がある。地元の北海道をクリエイター王国にすることだ。
ここでいうクリエイターは、作曲家やイラストレーターといったアーティストに限らない。伊藤の定義では、農業や酪農、水産業で一次産品をつくる人も含め、何か付加価値を生み出す人はクリエイターである。
「北海道は一次産品の生産高が日本一です。しかし付加価値を生み出す力が弱くて、付加価値指標は全国で44位です。北海道に限らず、地方ではどうも付加価値をつけるマインドが弱い人が多い。もともと何かを生み出す力はあるのだから、テクロノジーとかけ合わせて付加価値を高められる人を育てれば、地域はもっと楽しくなるはずです」
高校生の頃、『NHKスペシャル』で未来学者アルビン・トフラーが「第三の波」、つまり情報化社会の到来について力説する様子を見て、心が激しく動いた。公務員試験合格後にコンピュータの道を選んだのも、そして大学職員を辞めて起業したのも、「時代が変化するなら、自分が変化を起こす側にいたい」と考えたからだった。
かつて自分が刺激を受けたように、クリエイターをアジテートする場をつくりたい──。
その思いで16年からスタートさせたのが、毎年札幌で開催している「NoMaps」だ。世界的なテック&エンターテインメントフェスとして有名なアメリカのSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)を参考にしたイベントで、スタートアップや研究者、アーティスト、行政、学生などさまざまなプレイヤーが集まってネットワーキングする。24年は5日間開催で、延べ7万5837人が参加した。
「昔より起業家が増えてきたし、札幌はAIの研究でも注目を集めるようになった。札幌だけでなく釧路・根室や函館にもNoMapsのブランチができた。道内にムーブメントが広がっているのはうれしいですね」
初音ミクでワールドワイドにビジネスを展開しつつ、足元では地元の北海道にこだわり続ける。この経営スタイルは、物理的な制約を超えて世界とつながれるインターネット的世界観に通じるものがある。最後にこう語ってくれた。
「クリエイティブなものをやりたければ東京に出なきゃいけないという発想はおかしい。地方にいたって世界で勝負はできます。僕は身をもってそれを証明してきたつもりです。あらゆる領域のクリエイターが地元にいながら世界に羽ばたける社会を実現したいですね」
伊藤博之◎北海道大学で文部事務官として勤務。1995年にクリプトン・フューチャー・メディアを立ち上げる。コンピュータミュージックソフトウェアの販売・開発などに着手。2007年に発売した音声合成ソフト「初音ミク」が大人気となり、海外ツアーなども多数実施。13年秋に藍綬褒章を受章。