ここ最近、勝浦、富山、南紀白浜や熱海など、海沿いの街を訪ねる機会が多くあった。食べることが好きな私は、そのたびに魚料理がおいしい地元の料理店にお邪魔するわけだが、最近どこでも同じ言葉を耳にするようになった。それは「地元でとれる魚の種類や時期が変わってきた」というもの。海に何かが起きている。そう感じていたなかで、ちょうど「尾州ウール」などの生地や繊維素材を130年以上にわたって手がけている三星グループの岩田真吾社長から、宮城県の石巻市における水産業を見に行こうという誘いがあり、ご一緒させていただくことになった。
石巻市を案内してくれたのは、漁師から水産加工業者まで、水産にかかわる人材採用や商流までを幅広くサポートするフィッシャーマン・ジャパンの皆さんだ。石巻市は東日本大震災の被害が非常に大きかった地域だが、行ってみてまず驚いたのが、水産加工業者の工場の多さとその活発さであった。海に近いエリアに立ち並ぶたくさんの工場は力強く稼働しており、想像していたよりもしっかりした産業集積地帯の景観がそこにはあった。
工場もいくつか見学させてもらったのだが、石巻市でとれた金華サバなどを扱う盛信冷凍庫の工場内を見てまた驚いた。まるでアニメに出てくる「未来のオートメーション」のような最先端の加工ラインが設置されていたからだ。さらに、東京の大手商社から家業を継いだ布施太一氏が鮮魚の全国出荷、産直取引、一次加工などを手がける布施商店にも訪問した。そこでは、手作業が欠かせない工程をいかにクオリティを保ちつつ効率良く行うかが追求されていて、機械化と職人の手作業のハイブリッドな工夫がとても勉強になった。
この2社ともが口を揃えるのは、やはり「とれる魚の種類と時期が以前と変わった」ということ。いままでとれていた魚の生息域が北上し、とれる時期も短くなったり、変わったり、あるいはとれなくなったりしている。特にここ数年の変化が激しいようだ。そのため、変化に合わせて工場ラインを調整しなければならなかったり、新たな設備投資の計画を組まなければならなかったり、また以前は石巻市の漁港に水揚げされる魚を原材料にしていた定番商品の材料を今は北海道から取り寄せたりと、経営の変数が上がって非常に苦労が増えていると言っていた。