「見えているものの別の側面を見せるというのは、単純に説明すると、光の三原色『赤・緑・⻘/RGB』でキャプチャされたものを、赤だけを抜いて緑と⻘だけにして見せるようなこと。特定のデータを除外して重要な情報を強調することは、科学でよく使う技法ですが、そうやって普通の目では捉えきれないものを視覚化します」
「間違い」が新たな表現を生む
黒川の作品は、現実世界のなかにあるものの目に見えないもの、感じられないものをあらためて眼前に展開し、さらにそれを体験として共有することを促す。進化するデジタルテクノロジーは、黒川の作品にはどのような影響を与えているのだろうか。「テクノロジーの進化により、僕たち作り手にはいままでなかった表現がもたらされ、受け手側の体験も豊かになっていきます。一方、誰もがみなAIを使いデジタルアートが作れるようになってきていますが、トレンドになっているアウ トプットは、早い速度で消費されてしまうと思っています 」
黒川自身は、そうした技術を面白いと思いながら、多少距離をおいてみているようだ。「必ずしも新しいテクノロジーが新しい表現を生むというわけでもありません。古いテクノロジーで、面白く新しいことをするというのも僕は全然いいと思っています。 実際、昔のソフトウェアやライブラリをいまの作品制作に使ったりもしていますし」。
コンピューターサイエンスの専門ではなく、自身を「アマチュア」とも称する黒川は、プロフェッショナルがツールを使いこなして一点の隙もない作品を作ることと比べ、「アマチュア」としてツールを「間違って」使うことで生まれる味があり、それこそが自分の個性だと考えている。
「僕に限らず、ツールの間違った使い方が、歴史的にも新しい表現を生み出してきています」
同様に、聴覚や視覚、知覚についての生物学的な研究なども論文に目を通すことはあるものの自分のセオリーとズレているのであれば、「自分の感覚を優先する」と明言。そこに作家性が出ると考えている。
最先端のデジタルアートを、最新技術のショーケースとみる向きもある。実際にそういう側面はあるかもしれないが、トレンドやテクノロジーの進化よりも自身の作家性に重きをおく黒川の言葉もまた、アーティストの存在意義という点で心に留めておくべきものなのかもしれない。