この症状の発症後、まもなくハエは死に至る。宿主の死後、E. muscaeは、ハエの外骨格を破り、死骸から突出した部分で新たな分生子をつくりだす。これらの胞子は、風に運ばれたり、新たな宿主に直接接触したりして、新たなサイクルが始まる。
オスのハエを騙して感染を拡大させる
ハエを生かしたままその行動を操作することに加えて、E. muscaeは、もう一つ狡猾な武器をもっている。犠牲となったハエの死骸を、健康なオスのハエにとって抗いがたい罠に変えるのだ。周囲を飛び回るオスをおびき寄せるため、E. muscaeは、感染したメスのハエから揮発性物質を放出することが、2022年7月に学術誌『The ISME Journal』に掲載された論文で述べられている。この物質に引かれたオスは、死骸と交尾を試みる。みずからを寄生性菌類の胞子にさらしていることなど、ハエには知るよしもない。
こうした「死の誘惑」の詳細は、まだ明らかになっていない。1つの仮説として、揮発性物質は、食料や、配偶相手を示すシグナルに擬態していて、そのせいでオスは、詳しく調べようという衝動に駆られるのではないかと考えられている。しかし、オスが近寄ったあとは、死体から発せられる別の低揮発性物質が引き金となって、オスのハエの行動が変化し、交尾を試みるようになるらしい。
研究者たちがこの行動を完全に解明するのは、まだ少し先になりそうだ。しかし、近年になってE. muscaeのゲノム解析が行われ、この菌が持つ驚異の能力を紐解くための貴重な情報の数々が得られた。