ドラマと違うのは、宿主がヒトではないことだ。
ハエカビの1種Entomophthora muscaeは、『ラスト・オブ・アス』で世界人口の大半に感染したコルディセプス(Cordyceps)と同じように、寄生性の菌類だ。ただし現実には、E. muscaeが狙う宿主は昆虫であって、ヒトではない。通常の宿主はイエバエ(学名Musca domestica)だが、ミバエにも感染することが知られている。
寄生生物によるマインドコントロールは動物界では珍しくないが、E. muscaeの際立った特徴は、極めて効率的に周囲に拡散することだ。1つの部屋や土地の一画に限っていえば、この菌は、生息するハエの60~80%に容易に感染を広げる。
ハエカビの精密な遅効性攻撃
E. muscaeの感染サイクルは、効果的かつ致死的だ。この菌は最初、胞子(分生子)を周囲にばらまき、その一部が気づかないうちにイエバエに付着する。ハエに付着した胞子はそこで発芽し、宿主のクチクラ(角皮)に貫入して、血体腔(開放血管系を持つ動物において、血液が流れる、組織や器官の隙間)に潜り込み、そこで増殖する。寄生性菌類であるE. muscaeは、宿主をすぐに殺すことはない。むしろ、ハエに主導権を握らせつつ、身体機能に影響がない部分をすべて奪いつくす。このプロセスは、学術誌『IMA Fungus』に2021年11月に掲載された論文で解説されている。
E. muscaeは、まずは脂肪と栄養に正確に狙いを定め、宿主が早死にしすぎない程度に吸収する。この期間中にE. muscaeは、ハエの体を食料源としてだけでなく、感染を広げるための自走式容器として利用するのだ。ハエが完全に飢餓状態に陥ると、E. muscaeはハエの臓器のうち、生命維持に必要ないものを食い物にする。