映画

2024.10.30 17:15

中国北方の凍りつく冬と傷つきやすい若者を魅惑的に描いた映画『国境ナイトクルージング』

配役は、ハオフォン役が劉昊然(1997年生まれ)、ナナ役が周冬雨(1992年生まれ)、シャオ役は屈楚蕭(1994 年生まれ)と、中国でいう「90后(1990年代生まれ)」世代の人気俳優である。

3人は21世紀の飛躍的な経済成長の恩恵をそのまま享受して成長した世代であり、言い方が難しいが、先進国の若者の生育環境にいちばん近づいた中国の最初の世代といってもいいかもしれない。

それゆえに、コロナ禍以降の2020年代の中国経済の底知れぬ停滞と社会の激変が生んだ、競争社会を忌避し、住宅購入などの高額消費や結婚を諦める「躺平(寝そべり)」主義と称されるライフスタイルが現れた世代でもある。作品の中にも、登場人物たちが「寝そべり」について語るいくつかのシーンがある。

もっとも、この作品を観た筆者の本音を言えば、今日の中国の若い世代が抱える深い心の闇についての理解は、シンガポール出身の若手監督には計り知れないところがあるだろうと思う。でも、それはそれで仕方がないことだろうとも。

とはいえ、今日の中国社会のリアルな現状を抜きにしてこの作品を観るのであれば、ナイーブで傷つきやすい3人の若者の姿は実に愛らしく、親しみを感じた。

クラブで酔いつぶれるまで踊る姿や深夜に路上でカップラーメンをすする場面、コンビニや書店での支払いもすべてスマホで決済し人民元札が映り込むシーンが一切ないところも、いまの中国の若者世代のライフシーンをわかりやすく描いている。

3人がバイクにまたがり、北朝鮮国境沿いの雪道を走り抜け、氷結した川面を靴で割って遊ぶシーンも、そしてなにより長白山麓の雪原をさまようシーンに、筆者は癒しのような魅惑を感じた。背景に流れるシンガポール人ミュージシャンによる心地よいアンビエントミュージックのせいもあるかもしれない。

実際の『国境ナイトクルージング』の舞台

この映画について語るべきことは、本来ここまででいいのかもしれないが、筆者としては、作品の舞台となった延辺についての背景情報も書き添えたくなる。

まず3人が歩いた夜の延吉という町について。中国の主要民族である漢族とともに朝鮮族が多く住んでおり、映画のシーンでも見られたが、町のネオンにはハングルと簡体字の漢字が入り混じり、きらめいている。近郊の農村を訪ねると、古い朝鮮家屋が残っている。

それはこの地方の食文化にも現れている。以前、筆者は東京で最近増えている「ガチ中華」のジャンルについて「『ガチ中華』の新たなトレンドは少数民族系グルメ、注目は延辺朝鮮料理」というコラムを書いたことがある。中国料理と朝鮮料理がミックスした延辺朝鮮料理は、まさに『国境ナイトクルージング』の舞台となった地に住んでいた人々が営んでいるものなのだ。

クラブで酔いつぶれた翌日、3人がバイクで向かった先は、図們という町である。ここは中国と北朝鮮の出入国管理のゲートがある場所で、橋で結ばれている。

3人がバイクにまたがり、訪れた北朝鮮国境は図們にある。映画のシーンは北朝鮮からの鉄道が入境する鉄橋の下で撮影されたものと思われる

3人がバイクにまたがり、訪れた北朝鮮国境は図們にある。映画のシーンは北朝鮮からの鉄道が入境する鉄橋の下で撮影されたものと思われる

鉄橋から1キロほど下流にある北朝鮮との国境橋。両国人はここを歩いて渡る

鉄橋から1キロほど下流にある北朝鮮との国境橋。両国人はここを歩いて渡る

筆者は以前、夏にこの地を訪ねたとき、この国境の川を遊覧するボートに乗った話を「草むらには目を光らす北朝鮮兵、遊覧ボートから見る中朝国境の今」というコラムで書いたことがある。

実際、この国境地帯は20年ほど前まで、脱北者があふれていた。その実態を映像化したのが、延吉出身の張律監督作品『豆満江』(2010年)だ。この物語は、ひとりの朝鮮族の少年の眼を通して延辺の特異な世界をリアルに描いている。舞台は2000年代初めと思われる中朝国境の寒村。村人の大半は朝鮮族だ。

延吉出身の映像作家、張律監督作品『豆満江』(2010)は2013年に東京で開催された中国インディペンデント映画祭で上映された

延吉出身の映像作家、張律監督作品『豆満江』(2010)は2013年に東京で開催された中国インディペンデント映画祭で上映された

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写真=佐藤憲一、CANOPY PICTURES & HUACE PICTURES

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