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エコシステム

2024.09.12 13:30

京都ベンチャーをブレイクさせた「棲み分け進化論」

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「スマホの中身は京都」といわれるほど、スマートフォンは京都企業の技術で成り立っている。村田製作所の積層セラミックコンデンサ、ニデックの振動モータ、ロームのカラーセンサ、京セラのセラミック部品。いずれもかつて「京都ベンチャー」と呼ばれた企業だ。

任天堂やワコールといった消費者向け企業だけでなく、国内外のマーケットシェアを握る京都のBtoB企業は多い。売上高の海外比率も、村田製作所の92%を筆頭に半導体製造装置のTOWA、ニデック、堀場製作所、京セラは70〜90%を推移する。

こうした京都ベンチャーは、なぜ1代で世界的大企業に成長できたのだろうか。

本誌で京セラの稲盛和夫やニデックの永守重信など京都の創業経営者たちをインタビューした際、こんなことがあった。「今」の話から突然、昨日のことのように創業期の恩人について熱心に語るのだ。20代の稲盛に、宮木電機製作所の社長ら3人が自宅を担保に出資した話、オムロンの創業者である立石一真が、ワコールの塚本幸一らと、20代の永守を支援した話など、資金だけでなく、経営指南も行なっている。こうした支援の文化を辿ると、多くのグローバル企業を生み出しながらも、実は産業発展が難しい土地柄が関係している。

消費者もリソースもない都市

1997年に発足した「京都市ベンチャー企業目利き委員会」というものがある。全国から集まった新興企業がピッチを経て、「Aランク認定」されると、支援を受けられるというものだ(条件は京都市への移転)。審査委員は学生起業家出身の堀場雅夫をはじめ、稲盛、永守ら現役経営者が歴任してきた。

この取り組みの背景には、京都の厳しい事情がある。人口1万人あたりの大学生数は日本一だが、就職を機にその多くが流出する。また、土地が狭いため大手企業の誘致は難しい。明治維新までさかのぼると、遷都で市域人口が33万人から24万人に激減。公家を相手にした工芸などのビジネスが多かったが、購買層がいなくなり、市場は消えた。

49年間にわたり京都府の産業振興施策に携わり、副知事を務めた山下晃正によると、明治維新で都市として成り立たなくなった京都府は、「人への投資」をすることで、技術革新による産業勃興を目指したという。

「当時の先端産業は繊維です。京都府は西陣織の職工3人をフランスのリオンに派遣しました。そこで彼らはジャガード織機と技術をもち帰ってくる。機械の導入で産業を発展させるのですが、西陣織というのは分業制です。一社が設備をすべて揃える必要はないので、小規模でも参入しやすい。今でいうスタートアップの走りです」

分業制であるがゆえに、産業の近代化を早めることができたといえる。

もうひとつの「人への投資」は教育である。教育で未来をつくろうという住民たちが「竈金」と呼ばれる寄付を行い、日本初の町制ごとの小学校をつくった。先輩経営者が起業家を支援するのも「旦那衆文化の名残」と見られがちだが、危機意識による「京都流エコシステム」といえるだろう。
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文=藤吉雅春(本誌編集長)

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年9月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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