「被害女性」とされる人々も一枚岩ではないようだが、今後は明確に被害を訴えている「A子」さんが、証言台に立つかどうかが焦点となってくると思われる。
性加害問題において、被害者が何を語るか以前に「語れるかどうか」は非常に重要なポイントだ。二次加害を恐れて語れない場合がよくあることは知られている。またたとえ本人に告発したいという意思があっても、被害を被害と見なさない周囲の圧力が被害者を自責の中に追い込み、結果的にその口を塞いでしまうケースもある。
性犯罪被害者の女性の闘いを初めて正面から描いた作品として有名なのは、ジョディ・フォスター主演の1988年のアメリカ映画『告発の行方』だが、近年またいくつもの注目すべき作品が作られている。その中の異色作が、今回紹介する『プロミシング・ヤング・ウーマン』(エメラルド・フェネル監督、2020年)だ。本作は2021年のアカデミー賞で、脚本賞を受賞した。
カサンドラが闘う理由
「プロミシング・ヤング・マン(将来を約束された若い男)」という定型語の最後を「ウーマン」に変えていることから読み取れるフラットな意味は、女性も努力と能力次第で男性と同じく社会的成功を収めることができる、という現代的な見地である。しかし”将来を約束された若い女性がレイプ被害に遭いすべてを失う”というドラマの設定によって、このタイトルは強烈な皮肉として立ち上がっている。またここでは、既に亡くなっている被害者女性ではなく彼女の親友が主人公に据えられていること、その女性が「己の信じる法と倫理」に従って行動する点が、他のMeToo映画と一味違っていると言えるだろう。
冒頭は、バーで飲んだくれて正体を失っているカサンドラ(キャリー・マリガン)と、獲物を眺めるような目つきで彼女を見やる男たち。
やがて「家まで送ろう」という体裁で、ある男のアパートに連れ込まれるが、レイプされそうになる寸前で彼女は突然覚醒。女の泥酔状態につけこんでレイプしようとした相手の犯罪性を、自分ははっきり認識しているのだとわからせて、男をビビらせる。最初からカサンドラは芝居を打っていたのだ。
場面転換した次のシーンでは、ホットドッグをパクつきながら朝帰りするカサンドラの姿。腕に滴り落ちている血と見紛うようなケチャップの赤は彼女の体を張った闘いの勝利を、路上で投げかけられる男たちの卑猥なからかいを跳ね返す超然とした眼差しは、彼女の中に何らかの固く強い決意があることを示す。さらにこの”一夜一殺”とも言うべき行為を、彼女がかなり長い間続けており、手帳に記録してきたことも判明する。