ここでいう“現地の人”というのは、ごく限られた人たちだ。というのも、UAEは移民が多く、国籍をもつのは人口の12%ほど。ドバイに限っては8%で、エミラティと呼ばれる国民との接触は難しくもある。
一方、それほど外国人が多いのも、世界から人を集める工夫がされているからだ。わかりやすいのが税制優遇で、それを生かしているのが、フリーゾーンと呼ばれる経済特区。ドバイには30ほどの特区が存在し、そこではUAEの会社法ではなく、独自のルールが適用される。
例えば、黒川が訪れたドバイ・マルチ・コモディティーズ・センター(DMCC)は、100%外国資本での法人設立が可能で、条件によっては法人税非課税、域内で金やダイヤモンドの仕入れ加工、コーヒーのロースト・輸出するなどのビジネスをメインに約2万4000社が登記され、約8万人が働く。住居やレジャーなど十分な街の機能もあり、独自のコミュニティが出来上がっている。
「こうした特区がハブとなり、経済をまわす富裕層がドバイを潤します。日本もここを中東やアフリカ地域との接点にできるのではないでしょうか」
また、エミラティとの交流で興味深いのが、「マジュリス」と呼ばれるサロンのような場だ。黒川の友人宅では、屋外の大小3つの焚き火スポットがその役割を果たしていた。
サミット中も毎晩のように人が集まり、ノンアルコールで数時間にわたって雑談が続く。ある晩には、2025年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展のキュレーターに任命された建築家カルロ・ラッティが訪れ、20人ほどが都市と未来について議論していた。
黒川は、初対面の外国人も含め、フラットに人々を受け入れつながる様子を「日本であれば茶会のような場でないか」と重ねる。利休は茶室に身分の上下をもち込まなかったといわれている。そして、「このコミュニケーションの構図や場のもち方は、規模は違えど、異種混淆のサミットにも、税制から築くフリーゾーンにも通じている気がします」と続ける。
リアルな場を介して、ヒト・モノ・カネをコーディネートする。それこそがドバイを世界のハブにする原動力なのだろう。
黒川光晴◎1985年生まれ。08年に米バブソン大を卒業後、虎屋に入社、東京工場製造課で菓子製造を担当。10年にパリ店勤務、11年に他社で研修(サウジアラビア、シンガポールなどで貿易関連業務)。13年に虎屋復職後、18年に取締役副社長就任。20年6月から代表取締役社長。