独学で学び、「料理のメンターは、料理書」というシェフが、アートを愛好するのみならず、そこから料理を発想するようになった背景には「オリジナリティを持ちたい」という思いがある。
「食はアートであり、自己表現。でも、他のシェフの料理を見過ぎると、意図せずとも似てきてしまう。それならば、音楽やアートなど、違う分野のアートからのインスピレーションで料理を作れば、オリジナルのものになるはず」と考えた。アートをこよなく愛するからこそ、このホテルの監修を務めることは、自身の料理全体にも、大きな影響を与えるものだと感じたという。
マドリッドならではの物語を
メインダイニングである「デッサ」は、キャリアを重ねた思い出深い土地であり「キケ・ダ・コスタ」のあるバレンシア地方の言葉で「女神」という意味。また、シェフの娘が幼い頃の愛称でもあった。「人生の中の悲喜交々、家族が亡くなった悲しみや、愛をみつけた喜びなど、個人的な感情から生まれた料理も多い」というシェフの思い入れの深さが読み取れる。ホテル側も、海産物で有名なデニアに店を持ち、海や塩にこだわるシェフのために、著名なビジュアル・アーティスト、レイチェル・ライヒェルトにデニア近郊の塩を使ったアート作品の作成を依頼。完成した「塩の円」は、一粒一粒の塩が室内の光を 柔らかく反射する満月のように見えるアートで、自然への畏敬の念を表している。
「インテリアはレストランの皮膚のようなもの。このクラッシックで優雅な美を表現する場所に、テクニカルな料理はそぐわない。それに合わせた料理を作る」という言葉通り、店に入ると美しく並べられた食材が出迎え、食材へのオマージュとでも言うべき景色が広がっている。
スペイン南部のデニアと中部のマドリッド、遠く離れた両店では、異なる料理を提供する。「料理は言語。2つの店は、異なった2つの言語で話される、別の物語だ」とシェフ。その場所の歴史や、インテリアやサービスが生み出す雰囲気、そこで感じる感情を反映した「食べるアート」。だからこそ、全く違う文脈の料理が生まれる。
「例えば、ここはもともと現代フランス料理の父、オーギュスト・エスコフィエが働いていた、パリのホテルリッツの流れを汲む。ホテルで初めてキャビアを提供したのがエスコフィエということから、テーブルサイドで行うサービスとして、デニアでは目の前の地中海で獲れるマグロを提供するが、ここではその代わりに、キャビアを提供するコースを織り込んだ」
そして、ロシアからフランスに食べる習慣が伝わったことにちなみ、キャビアのサービスの後には、ロシア皇帝が贈り物として作っていた金細工「インペリアルエッグ」に着想を得て、コンソメと卵黄を球体化して、金の卵を模した一皿が提供される。
そんな物語性にも富んだ「デッサ」は、2022年度版のミシュランガイドでは一つ星、23年度版では二つ星の結果を得ており、歴史あるこのホテルに、三つ目の星が舞い降りるのが期待されている。