エコシステム

2024.06.21 19:00

創業160年、倉敷の街を支える「商店」6代目アトツギの事業転換の決断

自分が悪者になってでも進めたい 大きな方向転換

若林:それから2、3年かけて事業をソフトランディングさせる方向をずっと模索してきました。去年やっと当時運営していた店舗を全て譲渡しました。その時の店長やOB・OGに独立希望者を募って、そのOB・OGたちが今運営をしてくれてるんです。コロナの収束が見えて、売上も少しずつ回復しているタイミングで譲渡ができました。

山田:お父さんにはどうやって切り出したんですか?

若林:1番最初は、税理士さんと両親が月1回やっている経営会議に持ち込みました。その時には子会社のマネジメントも数字面も全て任せてもらっていた状況なので、財務諸表等を全部持って、今の状況と過去の推移、今後こうなっていくであろうという予測を全てロジックでまとめて持っていきました。

事前に母には、少しずつ相談をしていました。ロジカルに数字中心の資料を出して父と話をしましたが、水と油みたいになってしまい、そこから1年半ぐらいはずっと喧嘩のような状況でした。

別に私が悪者になってもいいし、「娘にやめさせられた」「あの時続けてたらもっとこうだったのに」と思われてもいいと思ってたので、今しかないと進めていました。

藤田:どこからその改革が成功しそうになっていったんですか?

若林:店舗の譲渡について従業員の方々に話を出した際、そこで思いのほかやりたいって言ってくれる方がたくさんいたんですよ。その時に父が「やりたい」って言ってくれる人にやってもらうのが1番いいよねって思ってくれたところですね。

同時並行で不動産事業部を立ち上げました。不動産賃貸管理といういわゆる大家業は元々ありましたが、いわゆる街の不動産屋として仲介業をやっていきたいと思い、宅建士の資格を取って心囃子の方で立ち上げました。

別に不動産屋がやりたかったわけではありません。ずっと街に興味関心があったんです。子どもの頃から倉敷美観地区で生まれ育って、その素敵な街の魅力がより伝わるようにできるんじゃないか、魅力的であり続ける街ってどんな形なんだろうみたいなことをずっと考えて生きてきました。それをサラリーマンとしてやっていくことも考えましたが、家業を通じてできないのかなと思って。

不動産屋はハブになる立ち位置で、街の中に物件が開きましたとか、ここに何ができたらこのエリアがより面白くなるんだろうみたいなことを考えてできるのは不動産屋だと思った形です。
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文=西澤七海 編集=督あかり 写真=8bitNews

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