国内

2024.06.27 09:00

元日銀総裁・黒田東彦が語ったデフレとの10年戦争。異次元のゼロ金利政策を支えた覚悟とは?──北野唯我「未来の職業道」ファイル【特別編】

COLUMN インタビューを終えて

「経済の魔物」と戦うために、必要だった3つのスキル

「日本銀行総裁に指名したい」

受話器の向こうには、当時の総理大臣・安倍晋三氏。正真正銘、日本のトップからのオファーだった。しかし、迷いはあった。というのも、前年に黒田氏はアジア開発銀行総裁に三選されたばかり。しかも加盟67カ国全員一致での結果だった。葛藤はあっただろう。だか、彼は決断した。

「デフレを脱却しないとこの国に先はない」。1本の電話が天命を決めた。

黒田前日銀総裁──メディアで見てきた印象は、鋭い眼光に意志貫徹の強面。だが、今回印象に残ったのは、優しさを含んだ笑顔だった。その日、私たち取材班は、国立新美術館の隣にある政策研究大学院大学を訪れた。話を聞けば聞くほど、黒田氏のキャリアは日本の経済史そのものだと感じた。
 
1971年ニクソンショックの変動相場制への突入から始まり、73年秋から翌年の第一次石油ショック。直近だと2008年のリーマンショック、20年からのコロナ禍と22年からのウクライナ侵攻。異常事態の連続の中、彼は常に重要な組織・ポジションに立ち、国益のために経済の魔物と戦ってきた。

そんな黒田氏に私は素朴な質問をぶつけた。「中央銀行総裁になるために必要なスキルを3つ挙げるなら何でしょうか」と。

彼は事例を交えながら丁寧に教えてくれた。1つは分析力。2つは決断力。3つは対話力。「分析」と「決断」はわかるが、「対話」は意外かもしれない。
 
総裁の仕事は常に対話を求められる。市場との対話はもちろん、例えば、アジア開発銀行では67カ国の利害関係をまとめ上げる必要があり、当然、各国の代表者との事前調整と対話が必要になる。また、プライベートでは、大蔵省(現財務省)の同期と頻繁に会ってひじょうに仲がいいという。私が感じた「優しい表情」は、まさに総裁に必要な隠れたスキルなのだろう。

日銀総裁として10年。振り返ると黒田氏のキャリアは、強固なソーシャルノルムとの戦いだった。バブル崩壊から尾を引いた、歴史上の異常事態とも言える長期間に及ぶデフレとの戦い。企業利益は伸び、失業率は半減したが、長らく物価と賃金は上がらなかった。しかし、24年に入りそのノルムは変化の兆しを見せている。
 
日本で、いや、世界で唯一の経験をした人物から語られた話。それは「天命に導かれたキャリアの物語」だったと私は感じつつ、六本木を後にした。


黒田東彦◎1944年、福岡県生まれ。政策研究大学院大学(GRIPS)特任教授、同政策研究院シニア・フェロー。67年東京大学法学部卒業後、大蔵省入省。71年英オックスフォード大学経済学修士課程修了。国際通貨基金(IMF)出向、国際金融局長などを経て99年から2003年まで財務官。内閣官房参与、一橋大学大学院教授を歴任後、05年アジア開発銀行(ADB)総裁。13年第31代日本銀行総裁に就任、18年再任。24年4月まで米コロンビア大学国際公共政策大学院客員教授を務めた。瑞宝大綬章受章。

北野唯我◎1987年、兵庫県生まれ。ワンキャリア取締役 執行役員CSO。神戸大学経営学部卒業。博報堂へ入社し、経営企画局・経理財務局で勤務。ボストンコンサルティンググループを経て、2016年、ワンキャリアに参画。子会社の代表取締役、社外IT企業の戦略顧問などを兼務し、20年1月から現職。著書『転職の思考法』『天才を殺す凡人』『仕事の教科書』ほか。近著は『キャリアを切り開く言葉71』。

文=神吉弘邦(本文)北野唯我 (コラム)写真=桑嶋 維

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年8月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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