アート

2024.06.23 12:00

死後36年がたつバスキア、その作品が世界にあふれるワケとは

Michel Basquiat, Future Sciences Versus the Man (1982) Photo credit should read Wiktor Szymanowicz/Future Publishing via Getty Images

Jean-Michel Basquiat and Andy Warhol attend "Gifts For The City Of New York" Benefit for Brooklyn Academy of Music on November 7, 1984 at Area Nightclub in New York City. (Photo by Ron Galella/Ron Galella Collection via Getty Images)

Jean-Michel Basquiat and Andy Warhol attend "Gifts For The City Of New York" Benefit for Brooklyn Academy of Music on November 7, 1984 at Area Nightclub in New York City. (Photo by Ron Galella/Ron Galella Collection via Getty Images)

同じ時代に活躍したアーティストのなかには、キース・ヘリングやバーバラ・クルーガー、ジェニー・ホルツァー、エド・ルシェなど、バスキアと同じように言葉や文章を作品の主な「原動力」にしていた人たちがいる。
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だが、グラフィティ・アーティストの「SAMO(セイモ)」として活動を開始した当初から、詩的で謎めいた言葉を作品に書き込むバスキアのスタイルは、特に際立っていた。

バスキアの魅力が時代を経ても色あせない理由のひとつには、その「ユニコーン」的な立場にもあるだろう。白人が大半を占めていた当時のアーティストたちの中で、バスキアは黒人でただひとりの「著名な」アーティストだった(もちろん、アメリカや世界各地で活躍していた黒人アーティストは、他にも大勢いたが)。

さらに、バ​​スキアはまるで他者による解釈を請うのと同時に拒否するように、図像や未完成のように見える絵、あふれるほどの言葉を作品の中に乱雑に混ぜ込んでいる。この不可解なものを解き明かしたいと思わせるバスキア作品の特徴が、見る人の心を引き付け、高い評価につながっていると考えることができるだろう。
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バスキアはその短すぎる生涯の間に、およそ1000点ずつの絵画とデッサンを残したとみられている。その他のどのアーティストとも同じように、手掛けた作品のすべてが傑作というわけではない。だが、短期間にこれほど多くの素晴らしい作品を数残したことは、実に驚くべきことだ。

その死から36年がたったいま、バスキアはアーティストとしてのキャリアのピークを迎えている。

forbes.com 原文

編集=木内涼子

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