一軒の居酒屋から世界を股にかける外食企業へ成長したトリドール。カウンター越しに客に語った夢はいつしか現実となった。あくなき成長を追うその経営者に、なぜ人もお金も集まってくるのか。
今年4月、東京・広尾に住宅をリノベーションしたプライベートギャラリーがひっそりとオープンした。中国生まれで国際的に活躍する書画家・婁正綱の作品を展示した「Gallery L」だ。オーナーは、トリドールホールディングス社長の粟田貴也。ギャラリーは完全予約制で、友人宅を訪れたときのようなリラックスした雰囲気のなかで、粟田がコレクションした婁正綱作品を鑑賞できる。
粟田はもともとアートに格別の関心があったわけではない。しかし、たまたま飲食店で居合わせた婁正綱と意気投合。それをきっかけに彼女のアトリエを訪れ、作品世界に魅せられた。
「抽象画で、日や角度によって見えるものが違うんです。作品の中に婁さんの人生が立ち上がってくることもあれば、私自身の人生がだぶって見えることもある。僕はそれまで事業100%で、無趣味でした。これからも事業が最優先であることは変わりませんが、60歳になって、自分というテーマを考えてみてもいいのかなと」
現在のコレクション数は22点。それらを自宅で楽しんでもいいはずだが、プライベートギャラリーで公開することにしたところに、お金の使い方に関する粟田の哲学が垣間見える。
「僕は関西人で貧乏性(笑)。物をもつことには今もそれほど興味がありません。お金を出すのは、その先に何かが広がっているとき。今回ギャラリーをつくったのも、アート好きな人が集まってくれば、自分では想像がつかない世界が目の前に現れてくるんじゃないかという期待からでした。ある意味、夢やビジョンを買っているんです」
トリドールホールディングスの時価総額は3319億円(2024年4月25日時点)。株式の約3割を保有する粟田は1000億円超の資産をもつ。富の一部を夢やビジョンのために使うというが、そもそも富が集まったのは、粟田が夢やビジョンを語ってきたからだった。
早くに父親を亡くした粟田にお金はなかった。大学夜間部に通い、昼は喫茶店でアルバイト。しかし、飲食の魅力を知って「店を持ちたい」と夢を描く。当時本屋で見かけたのがナポレオン・ヒル著『成功哲学』だ。新聞記者だったヒルが、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの依頼で500人以上の成功者を分析した結果をまとめた本である。ヒルの結論は「夢をビジュアル化すれば潜在意識が刺激されて能力が開花し、夢がかなう」。その言葉を信じて、夢を紙に書き、人に語るようになった。
夢を語ると、まず人が集まってきた。最初の理解者は妻だった。
「妻は幼なじみで、開業資金をつくるためにトラックに乗っている時期に再会しました。妻は勤め人の家庭。当時、飲食は水商売というイメージが強く、抵抗はあったでしょう。でも、僕の夢に乗っかってくれた。結婚した月の下旬にはふたりで焼き鳥居酒屋を出しました」