経営・戦略

2024.06.14 14:30

夢を語れば人が集まる「食」で大成功した理由

 粟田貴也|トリドールホールディングス社長


店名は「トリドール3番館」。「店を3軒もちたい」というビジョンを表した名前だ。その思いはカウンター越しに客にも語った。すると客は「夢というより白昼夢や」と笑いながらも新しい客を連れてきてくれた。人が集まればお金も集まる。山あり谷ありだったが、いつしかトリドールはファミリー焼き鳥居酒屋チェーンとして成功していた。
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お金に対する見方が変わったのは、上場準備を始めた00年代はじめだ。店を出せば繁盛するが、信金は担保がないと資金を貸してくれない。成長を加速させるには上場が必要だった。

「若いころは豊かさにストレートに憧れていました。商売を始めて、利益は目的ではなく、顧客満足を高めた結果だと考えるように。さらに上場準備で、自分は商売でなく事業をやるんだと意識が進化。そうなるとお金がますます目的ではなく、夢を実現させるための手段になっていった」

上場後、トリドールは体験価値を重視した業態「丸亀製麺」で飛躍的に成長する。客の目の前で調理すれば体験価値が生まれるが、オペレーションは手間がかかって非効率。社員の多くは粟田が描くビジョンに共感して協力してくれたが、投資家にはなかなか響かなかった。
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「非効率だからこそ成長していると説明しても、『効率化・省人化すればもっと成長する』。社名も『丸亀製麺にしたほうがもうかる』という。トリドールはうどんだけで終わるつもりはないし、世界にも出ていく。そう言い続けて他業態の海外M&Aに投資をしていたら、最近ようやく投資家のみなさんも話を聞いてくれるようになった」

60歳になって自分軸を意識し始めた粟田だが、事業にかける思いはさらに熱さを増している。

「4年で売り上げを倍近くにする中期経営計画を発表しています。本当はその先にも夢があるんですよ。でも、上場企業のトップとして軽々しく言っちゃいけないと止められていて......(笑)」

壮大な夢が人やお金を引き寄せ、それらが集まることで夢が実現に近づいていく。そのサイクルを回し続けてきた粟田は、最後まで次の夢を語りたくてうずうずした様子だった。


丸亀製麺

1985年に「トリドール3番館」を創業し、その後「丸亀製麺」を立ち上げて以降、トリドールの急速な成長は始まる。食の感動体験を事業の核とする同社は、うどんだけでなく、ピザ、カレーなどさまざまなジャンルの店を生み、または買収し、拡大している。2024年現在、国内では「Kona’s Coffee」など11ブランド、海外ではアジア、欧米に広く13ブランドを展開する。また、同社は年1回、国内外のブランド責任者を集め情報共有と試食会を実施。「トリドールカンファレンス」と呼べるこの取り組みは、各国のリーダーに刺激を与え、トリドールの躍進の大きな原動力になっている。

粟田貴也

純資産|12億ドル超 資産の源泉|飲食業 国籍|日本 年齢|63歳

1961年、兵庫県生まれ。85年に焼き鳥居酒屋「トリドール3番館」を創業。90年にトリドールコーポレーションを設立。2000年に、香川県讃岐うどんのビジネスにヒントに「丸亀製麺」立ち上げ、06年マザーズ上場(現在 東証プライム)。11年には丸亀製麺の海外1号店をハワイのワイキキに出店。

文=村上 敬 写真=苅部太郎

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