本当にお父さんは椅子から落ちた(笑)
そこから僕は、学校で開催される行事やイベントなどを使って目立ちまくりました。
日本人の文化を伝えるミーティングでは 、「お江戸はカーニバル”by zombies」というダンスを全校の前で、ソロダンスでパフォームしました。
もちろん僕は、ダンスはうまくないです。なんと言っても、3歳の時に、あの「江頭2:50」から習ったスタイルを16年間貫き通しているのですから。でも、海外の人は初めて見るタイプのダンサーでしょうね。ダンスを見てみんな大爆笑、終わった時には立って拍手をしてくれていました。
次に活躍したのは、冬に行われたスピーチ大会でした。そこでは「ユーモアとは?」というテーマにそって、それこそ「ユーモアあふれる」スピーチを狙った結果、見事、決勝進出を果たしました。
今思うと、あんな空っぽで意味不明なスピーチが、よく決勝まで残ったなと思います。
でも、こういった行事でのパフォーマンスを通して、先生に僕の学校生活への真剣さを伝えられたし、学校全体に「やべーやつがいるな」と印象づけられたので、大成功でした。
そして、「いよいよ勝負の最終学期」となったところでコロナが流行り始め、僕は学校が始まってからわずか半年程で日本に強制退去させられました。
残るは最後の選挙のオンラインスピーチのみ。
しかも競争相手は全員、女の子。
選挙当日、夜中1時ごろズーム越しに選挙が始まりました。
女の子たちがそれぞれ、とんでもなく真面目でよく考えられた? スピーチをする中、もちろん僕はまたふざけ倒しました。
すると、数日後の開票結果でなんと,
無事生徒会長に就任することができたのです!
それまでの人生で一番、と言っていいほど、うれしいできごとでした。
そして予想通り、お父さんは椅子から転げ落ちていました。
また何と驚くことに、副生徒会長も日本人の女の子が勝ってしまい、「日本人が完全に学校の主導権を握る」という面白い展開になりました。
僕はこの経験を通して、結局、度胸と自信があればたとえばどんなに英語が壊滅的でも、生徒会長になれるということを証明できたなと思っています。
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