日銀の総裁職を引き受けるというのは、当時はさぞかし魅力的に思えただろう。主要7カ国(G7)の一角を占める国の金融当局のトップに就くチャンスを、マサチューセッツ工科大学(MIT)で研鑽を積んだ経済学者がどうして断ることがあろうか。
しかし、世界の経済で最も困難な仕事に悪戦苦闘している現在、植田には、あのとき断っておけばという思いが去来することもあるかもしれない。
植田のチームが2024年に想定していたことは、ほとんどすべて覆されている。中国経済は投資家が予想していたような力強い回復をみせず、デフレと闘っている。米連邦準備制度理事会(FRB)の早期利下げ観測はしぼみ、政策金利が高止まりする「より高く、より長く」の時代が続いている。欧州経済のエンジンであるドイツ経済は停滞している。
日本経済はと言えば、円の価値がどんどん失われるなか、なかなか理解しにくい状態になっている。数カ月前には、植田のチームにとって、どう動くかの判断は容易だったように思える。1999年からゼロ近辺の政策金利を引き上げ始めることである。1年前、日本の物価上昇率は40年ぶりの高さを記録し、市場は日銀の政策転換に身構えていたからだ。
チーム植田はそのチャンスを台無しにした。日銀は金利をゼロに据え置き、2001年に導入した量的緩和政策を維持した。実のところ、日本経済は2023年後半にはリセッション(景気後退)に陥る瀬戸際だった。経済協力開発機構(OECD)によれば、今年の成長率もわずか0.5%にとどまる見通しとなっている。
同時に、日本の物価上昇率は現在3%を大きく下回り、日銀の目標である2%に向けて下降している。こうした低成長とディスインフレのダイナミズムはこの先、利上げと折り合いをつけるのが難しい。
植田が4月に大胆な行動に出ると確信していた日銀ウォッチャーたちは、いまはそれを6月に見込んでいる。もっとも市場関係者の間では、日銀が緩やかな金融引き締めに動くのは早くても10月とみる向きが多い。