石井:浅野忠信さんからロボットバトルの参考動画が送られてきて。箱同士がバーンっとぶつかるという描写は思いつかなかったので、参考にさせてもらいました。
永瀬:ちゃんと有意義なやりとりをしてますね。あのシーンは観客に楽しんで観てもらえたらいいし、ものすごく緻密にやりとりしているシーンでもありますね。
──主題はわかりやすいけれど、一体今このシーンでは誰が「わたし」なのか。後半にかけて主体が混濁していくところにドライブ感を覚えました。映画的な盛り上がりを作る上で、意識されたのはどういうところでしょうか。
石井:まさに今言われたことですけど。原作を読んでいて、主題はシンプルなのに、主体性が入れ替わる構造になっていて。私自身読んでいてなんだか訳がわからなくなる小説なんです(笑)。
永瀬:観てるみなさんも、誰が「わたし」なのか、分からなくなる世界に参加できるといえますよね。
石井:ですから、どの「わたし」が書いてる物語で、それを演じているのは果たして本当の「わたし」なのかが、わからない。そこから後半にかけては、脚本のいながきさんが特に力を込めて書いたところですけど。私も読んでいて、とにかくドライブ感に酔って跳んでいく感覚......。ロックンロールでいうと、ロールしていく感覚を覚えて。そもそも私が監督する映画は、そういう感覚がないと面白くないと思うので。
──個人的には映画としての商業性やエンタメ感と安部公房原作としてのアート性のバランスが心地よい塩梅でした。原作の威光を損ねないで、映画としての強度を担保する上で腐心したのはどの点ですか?
石井:まさにそれこそが一番苦労したところです。難解なアート映画に徹する方向性も当然ありだと思いますが、原作者から映画では娯楽にしてほしいという要望もあり、私としてはせっかく永瀬さんや浅野さん、佐藤さんという演者に出てもらっていますし、安部公房という存在やカルチャーに造詣がない人でもこの世界に引きずり込む映画の力、それをいかに発揮させるかが大事でした。映像力と同時に、登場人物の声や動きを含めた身体性を大事にしたいという思いがありました。それに存在感がないと映画としての肉体性を持てないので。
──もう少しだけ具体的に教えていただけますか。
石井:結局どんな映画を撮影していても、どんな高尚なテーマであっても、観客に物語を伝えるのは、俳優さんの肉体であり、声であり、視線や動きでしかない。そこにこそ、映画の成功が掛かっている。
今回の主演4人は自分にとっては単なる俳優ではなくて、一緒に物語を作っていく上で、重要なメインスタッフ仲間だったと痛感してます。
──公開を待っている読者にどんな風に堪能してもらいたいですか。
永瀬:世界にも類を見ない特殊な物語だと思います。昨日別の媒体のライターさんが「どういうジャンルの映画か教えてくれ」と上司に言われたそうで(笑)。僕らも「こういうことが起きるので、映画館に来てください」と伝えるのは難しい映画だとは思いつつ。でも、あえてこの作品を説明するのであれば、ラブストーリーでもあるしアクションでもあるし、純文学でもあるし。監督がそれをまとめて「マジカルミステリーツアー」だと舞台で話していたように。映画館で、新しい体験ができるかもしれない。その体験を楽しんでもらえれば、一番いいと思います。