「嫌」と言えないからこそ
『うるさいこの音の全部』では、同僚たちが態度を変えて“作家先生”として接して来るようになったことで、朝陽の平穏な日常がきしみ始めます。この作品を読んでくれた私の友人から「これって主人公が一言、『そういうのは嫌です』って同僚に言えば全部解決するじゃん」と言われたことがありました。『おいしいごはんが食べられますように』でも同様に、職場に何度も手づくりのスイーツをもってくる同僚に対して、「ごめん、私は甘いものや手づくりのものが苦手なんだよね」と一言言えば済むよね、と。
私はそうした友人の感想に対して「そんなの言えるわけないじゃん」とモヤモヤしたんです。「いちいち口に出していたら世界が回らなくない?」と。でも現実には、空気を悪くすることもなくハッキリ嫌と言える人がいる。そういう人がいるおかげで、そのコミュニティはより良い方向に進んでいくのだろうし、全員が我慢するのではなく言いたいことを言って少しずつ歩み寄っていくのは理想的な姿だと思います。
でも、数人だけの飲み会で上司の愚痴をめちゃくちゃ言っていたとしても、次の日に職場の全員の前で「〇〇さんのあれは明らかに間違っていますよ」と言えるかと言ったら、言えない、言わない人も多いはず。そうした“没コミュニケーション”で成り立っているコミュニティはたくさんあるんだろうと思います。「それって社会をより良くしようとしてない、逃げなんじゃないか」と指摘されたら「それもそうだよな」と納得する自分もいるんですけどね。
ただ、私が今35歳になって思うことは、これまで笑い流してきた反省も踏まえて、特に自分より年下の女性が性的なからかいやセクハラを受けているときに、笑って流すのだけは絶対にやめようということ。「女の子なんだから」というベタで最悪な発言をする人は今も現実にいます。
「これは流さないぞ」とひとつ心に決めると、それがちゃんと守れた日はお酒がおいしく飲めるんです。「あいつちょっと小うるさいな」ぐらいに思われていたほうが精神的にもいいのかも、と最近思っています。
高瀬隼子◎小説家。1988年、愛媛県生まれ。2019年に『犬のかたちをしているもの』(集英社)で第43回「すばる文学賞」を受賞、20年に同作でデビュー。22年に『おいしいごはんが食べられますように』(講談社)で第167回「芥川賞」を受賞した。新刊に『うるさいこの音の全部』(文藝春秋)。