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2024.03.02

芥川賞受賞から約1年。高瀬隼子が見つけた「他者」への希望

高瀬隼子|小説家

他者への無関心さや攻撃性ばかり目につきがちな現代社会。芥川賞受賞から約1年、高瀬隼子が見つけた「希望」とは。


2023年10月に『うるさいこの音の全部』(文藝春秋)を上梓しました。この作品の主人公は、ゲームセンターで働きながら小説を書いている女性・長井朝陽。テレビ番組出演をきっかけに兼業作家であることが職場に知られてしまい、さまざまな「嫌だな」と思うことが起きてしまうという話です。

この作品を書いた後の出来事だったのですが、私自身も22年に『おいしいごはんが食べられますように』(講談社)で芥川賞を受賞しました。当時は小説を書いていることを職場に黙っていて、芥川賞受賞後も「ペンネームだからバレないでしょ」と思っていたら普通にバレるという、朝陽と似たような状況になりました。

朝陽が体験したことは「こうなったら嫌だな」という私の想像だったのですが、今思うと、当時の頭のなかにいた“架空の他者”はすごく攻撃的な人ばかり。「小説なんか書いてないで、もっと仕事しろよ」と不満や皮肉を抱きつつも、上辺ではニコニコ振る舞っている。そんな腹黒い人ばかり想像していたんです。

でも、実際に私が芥川賞を受賞し、職場で身バレしてからのこの1年間を振り返ると、隣の席や前の席に座っていて、普段一緒にペアを組んで仕事をしている同僚たちはみんな本当に優しかったんですよね。私がどうしても小説の関係で平日に有給休暇を取らなくてはならないときに、仕事を代わってくれた後輩に謝罪すると「全然気にしないでください、本当に応援してますから」と励ましてくれました。

思わず本人の目の前で「人ってこんなに優しいんだね」と口にしたら、「人のこと悪く見すぎなんで、ちょっと反省したほうがいいと思いますよ」と呆れられてしまいました。私が思っているよりもはるかに、周りの人たちは優しいんだという気づきが、この1年間でたくさんありました。裏を返すと他者への想像力のなさの表れでもあり、すぐに悪者みたいに考えてしまっていた自分も悪かったなという反省もあります。

そう思ってしまっていたのは、私自身が「表面ではニコニコしながら、心のなかでは嫌なことを考えている」というタイプだからかもしれません。「ということはつまり、目の前にいるこのニコニコの人も、私と同じように嫌な人なのかもしれない」と、自分の腹黒さが鏡のように相手に映って見えていたのかなと。

現代社会では他者への無関心さや攻撃性ばかりがどうしても目についてしまいますし、実際、私の記憶に深く突き刺さって抜けないぐらい傷つくことを言ってきた人もいます。でも、そんな嫌な1人2人のことなんて無視できるぐらい、周りには根っこの温かい人たちがこんなにもいるんだということに希望を感じました。
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文=堤 美佳子

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年2月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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