金品授受に見る昭和体質 「先生」が尊敬されない時代に元記者の精神科医が思う

名古屋市教育委員会の金品授受問題を伝える新聞記事 

自民党派閥の政治資金パーティ裏金事件の「余震」が続き、ため息をついていたら、名古屋市教育委員会が市内の教員団体(複数の任意団体)から毎年金品を受け取っていたことが明らかになった。市立小中学校の校長推薦名簿に添えたもので、学閥から人事への影響も疑われ、河村たかし市長は調査チームに解明するよう指示した。 

はた、と気づいた。両者には「繋がり」がある。政治家と教師。共通の呼び名は「先生」──。 

名古屋市教委の問題を報道した中日新聞によると、少なくとも2016年以降、毎年200万円前後の金品授受があった。市内16区の校長会や教員の卒業大学、担当教科ごとの各団体が次年度の校長、教頭、教務主任に就く資格のある教員リストを市教委に提出。そのうち2023年度は8割以上の69団体が名簿とともに5千~6万円の現金や商品券を贈り、総額は221万円にのぼった。最多の愛知教育大同窓会からは72万円が渡っていた。 

受け取った教職員課では「陣中見舞い」の認識で、銀行口座で管理し、深夜業務の際の飲食費や採用試験の打ち上げなどに充てていたという。「20年以上前から続いている」という証言もあるとのことだ。 

昭和時代の教師像と通じるもの 

もう時効の話。私が中学生の時(昭和50年)、母親が担任にお中元を贈った。国語の担当でもあったY先生は、一学期終業式前の放課後、私を呼んだ。何か怒られるのかと思ったら、岩波の古語辞典を手渡された。 

国語が好きなのはそのせいばかりではないのだが、新聞記者を辞めて医学部に入った年(平成10年)、引越しで古語辞典を久しぶりに開いて「今ではあり得ないな」と思った記憶が、今回の報道に接してよみがえった。あり得ないと思ったことが、明るみにならないと止められない。組織の硬直性となれ合いを物語るひとつの証拠だろう。 
 
昭和時代の教師はこわかった。地元の中学は丸刈り強制で、担任から両耳の上の刈上げを両手の人差し指と中指のチョキで挟まれて、少しでもはみ出ると、髪の毛をつかまれたまま、上に引っ張り上げられた。その経験はなかったが、体育の授業で誰かがふざけて授業態度が悪いと、連帯責任と称して学級委員の私もビンタを張られた。 

もっとも、こわいばかりではなかった。体育の授業時間に雨が降ると、教室で先生は安来節を踊って生徒を笑わせたし、特別活動の時間には校外の公園まで散歩して、そこで相撲を取った。Z世代の子どもたちには、想像もつかないエピソードだろうか。 

記事を読んで、デジャヴ(既視感)を覚えたのは私一人ではあるまい。 

昨年から続く、自民党の派閥パーティ裏金事件。どちらも昭和的な残像が連綿と続いてきたと言えそうな気がする。 

両者に共通するのは、「先生」と呼ばれる仕事をする者たちの、組織防衛意識の硬直性となれ合いだと私は受け取っている。 

組織とは、もちろん派閥の同義語だ。政治の世界は言うに及ばず、教師にも出身大学による学閥がある。少なくとも昭和から平成にかけてはあった。地元愛知で絶大な影響力を誇る教育大学出身者が校長への出世コースで優遇されてきたと、複数の関係者から聞いてきた。 

今回の金品授受を元教師に尋ねてみた。私の恩師のひとりで現在70代の男性だ。校長も経験している。 

「昇級試験がネックの一つになっている。公正にといっても、選ぶ方も選ばれる方も教師。同じ程度の実力なら顔見知りを優先するのは人情。そこに金品が絡むとね」 

名古屋市だけでなく、ほかの県内でも似たようなことはあるのか? 

「昔は確かにそういう噂はあった。ある教育長が(金品授受の)空気感を読んで、大ナタ振るったことがあった。でも今は人格的にふさわしい人材を登用する時代だと思う」 
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文=小出将則

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