その背景には、「先生」とよばれる職業が、昔に比べ、社会的に尊敬されなくなってきたことが大きく関与しているのではないかと思われてならない。
先に書いたように、私たちの世代は、戦後民主主義と言いつつも、指導者、つまり政治家や教師は戦前の思考の流れを継いでいた。「おかみ」という言葉に代表されるように。社会全体が右肩上がりの中で、「先生は、えらい」という擬制があった。
それが崩れて、子ども・保護者と教師の関係が逆転した。
心療内科医として思うこと
心療内科を開業して10年。現役の教師が患者として来院することが年を追うごとに増えている。そこには、バブル期以降デフレ経済の中で成果主義を求められ、子どもへの教育以外の雑用にも追われ、学校という名の機械で歯車として働く教師の疲れた姿が映し出されている。40代の小学校教師が5年前、高血圧など心身の不調を訴えて受診した。時間外就労が月に150時間に達するなど、明らかな過労だった。きまじめで、他の先生に仕事を託せず、ひとりで抱え込んで、うつ状態が続く。
別の30代中学教師は部活動の顧問をしていて、生徒への対応に不公平があると保護者からクレームが届き、対応に疲れて休職した。
報道によれば、市教委の金品授受は、教育委員会に出向した者への「激励」の意図もあったという。「ほんの気持ち」という昭和時代のなれ合い感覚が、ずるずると続いてきたのだろう。それはどこか、デジタル全盛時代に対する職業集団によるアンチテーゼのように受け取れる。
ただ、今の多様性社会に、特定の派閥や集団だけが優遇される時代でなくなったことはハッキリしている。誰もがSNSで発信できる時代。体罰や裏金、派閥内の暗黙のルールなどの問題がすぐに告発され、可視化される世の中に変わってきていることに、先生と呼ばれる職業人は無自覚だったのかもしれない。
「先生」らしくない教師や政治家
内田樹氏の著書『先生はえらい』(ちくまプリマ―新書、2005年)をひもとくと、目から鱗が落ちる記述であふれている。
「誰もが尊敬できる先生」など、昔から存在しない。先生は、恋人のように自分自身で捜し出すしかなく、学びを商取引と同列に考えていてはいけない。私たちが敬意を抱くのは「正しさや有用性」からではなく、自分には届かないものを持っていると「誤解」してしまうような謎の先生こそが学びの主体性を担保してくれる。
どこか投げやりになりそうな時に聴く歌がある。
RCサクセションの「ぼくの好きな先生」(作詞:忌野清志郎、作曲:肝沢幅一、編曲:穂口雄右)だ。♪たばこを吸いながらいつでも部屋に一人 清志郎の高校時代の美術科教師がモデルのこの歌を聴くと、なぜか心穏やかになる。職員室がきらいで、遅刻の多い「僕」を口数少なくしかる先生。情景が目に浮かぶ。
♪ちっとも先生らしくない ぼくの好きな先生 ぼくの好きなおじさん
好ましいのは徒党を組まないところ、ルールに縛られないところ。要するに、自由人。
今の日本に必要なのは、こんな「先生」らしくない教師や政治家ではないのか。そして、こうした「先生」らしくない教師らが旧態依然としたルールに縛られず自分らしく生きるために、個性的な「先生」を受け入れる社会こそが求められていると私は考える。