退職を思いとどまらせた上司のひと言
一般的によく聞かれるのは、会社側が女性に昇進を打診しても、女性の側が尻込みしてしまうという話だ。土谷も上司の立場となり同様のケースに直面してきた。「そもそも、そのような場面で躊躇する女性は多い傾向にあると私は思う。幼少期からの教育の影響などで、人より前に出るのをためらうのは、圧倒的に女性のほうが多いのではないでしょうか」
そこで土谷は、課長候補の女性を集めてディスカッションを行った。時には男性社員にも加わってもらい、互いの差異を生かすためには何が必要なのかを考え、とことん語り合う場にした。
もうひとり、彼女のキャリアに大きな影響を与えた上司がいた。土谷がイオングループのスーパーマーケット「マックスバリュ」店長を務めていたときの上司で、彼は全国のマックスバリュ店舗を統括する立場だった。土谷が本社への異動を命じられた時のこと。店長から本社の部長という前例のない大抜擢のうえ、初めての関東勤務。戸惑いと不安から「退職」の二文字が頭をかすめ始めたころ、その上司から電話があった。
「私の性格を見抜いていたんでしょうね。誰にも胸の内を明かしていなかったのに『辞めるかどうか悩んでいるんだろ?』と言われたのです。そして、『どうせなら、本社に行ってから辞めればいい』と。そういう選択肢もあるのか、と気持ちが軽くなり、腹が決まったように思います」
仕事に対しては厳しかったが、周囲の人をていねいに観察する上司だった。
「彼がマックスバリュの統括ポジションを去る際に、全国100以上の店舗すべての店長宛に直筆の手紙を渡していました。一人ひとりの店長の長所、どうすればその人がもっと成果を上げられるかなど具体的なアドバイスが書かれており、これほどまでに部下を細やかに見ているのかと驚かされた。そして人を大切にすることで組織は育つのだとあらためて感じました」
人材を育てるためには、失敗も含めて多くの経験が必要だと土谷は考える。実は彼女自身も、失敗談は数知れないと苦笑する。
「商品本部長時代に『揚げないコロッケ』を企画したんですが、全然ダメでしたね。いくらヘルシーでも理屈だけでは売れないと痛感しました」
2022年春に始動した土谷直轄の新商品開発プロジェクトチームでは「失敗できるための予算」も設けた。
「小売りのシステムには、成功のための原理原則がある程度確立されている。その原則から外れれば失敗する可能性もあるけれど、従来の枠をはみ出さなければ面白い商品はつくれない。だから『失敗なんて気にせんでええ』とメンバーには伝えています」
結果は、今期売上高が1兆円を超える見通しのトップバリュ快進撃を見れば明らかだ。「本当においしくてワクワク感のある商品をつくりたい」と話す土谷の瞳は、すでに“ 次のワクワク”を見据えていた。
つちや・みつこ◎1963年、岡山県生まれ。高知大学農林海洋科学学部卒業。86年ジャスコ(現イオン)入社。ビオセボン・ジャポン社長、イオンリテール取締役などを経て22年3月イオントップバリュ社長。23年3月よりイオン執行役副社長を兼務。